2008年5月11日 (日)

「チベット(アラン・ウィニントン)」(3) 二郎山を越えて

さて筆者らを乗せて成都を出発した人民解放軍のジープは難路を越えてラサまで走ります。

トラックが集まる交易の中継地、雅安で一行は休憩を取ります。
休憩中の食堂で、筆者は若い運転手チュー・ウェン・ティエンから「チベットはこういう所だ」という講釈を受けることになります。

 「ほとんど全部のチベット人は、おそろしく信仰家です」と運転手チューはいう。「このことを知っておかんと、まるで何でもないことで、連中を怒らせてしまうんですよ。祈祷の壁のまわりや、それどころか、えらい坊さんのまわりを歩くときに、まちがった方向へ行ったりすると、怒られますぜ」どんな対象でも、宗教的に重要なもののそばを通りすぎる時の正しい方向は、時計の針のようにすることであり、それはまた祈祷車というものをまわす正しいやり方でもあるそうだ

祈祷車って何なのかわかりませんがとにかくチベット僧が口うるさいということですかね。
まあ、どんな宗教でも共通してる口やかましさかなと思います。

チューは筆者に、チベットでの注意事項を書いたぼろぼろになったノートを与えます。
そこには箇条書きでこう書かれていました。

ラマ主教の許可なくしては、いかなる僧院にも入ってはならぬ。
いかなる聖像に対しても、一本の指でさしてはならぬ。もしささねばならぬときには、手全体を使え。
寺の中で懐中電灯を使ってはならぬ。
以前に僧侶その他の人々が屠殺人から買いもどしたことがある家畜は、どんな家畜であろうと、殺すために買おうとしてはならぬ。こういう動物は、とくに神聖なのだ。
猟も魚釣りも、してはならぬ。
仏陀に背を向けてはならぬ。活仏や高位のラマのまえで腰をおろしてはならぬ。
婦人に向って、夫はだれかとたずねてほならぬ。チベットの婦人のかなりの部分は、何人かの夫をもっているから、外国人がこういう質問をすることは、軽べつだととられるおそれがある。
チベット人が、こちらに向って舌をつき出し、同時に両方の手のひらを見せても、おどろいてはならぬ。この古代からのチベット式挨拶は西洋の握手と似たものである。すなわち両手を差しだすことは、いかなる武器も隠してはいないということを示すことだからである。
 また昔からのチベットの迷信は、毒殺者の舌は黒いといっている。
こちらが相手と親密な間柄になり、はっきりとその同意を得てからでないかぎり、チベット人のライフル銃や刀にふれてはならぬ。武器は、はとんどのチベットの男にとって、また多くの婦人にとっても、もっとも貴重な財産である。
 重支えないことがはっきりとしている場合のほかは、たばこや洒をのんではならぬ。
 馬に乗って山を下ってはならぬ。チベットの古い諺は、人を乗せて山へのぼれぬ馬は馬ではないし、馬に乗って山を下る男は男ではない、といっている。
 祈祷の時刻に人を訪問してはならぬ。
 招待や飲食の申出を断わってはならぬ。チベット人はひじょうに人を歓待することを好んでいて、それを断わることほ、その家の食物は食えぬ、という意味になる。

迷信や現代ではあまり残っていない風俗が細々と書かれていて、相当原始的な社会だったのだなと思い知らされます。
さらにチュー青年は続けます。

「たとえあなたが、どんなに腹がいっぱいでも、どんなにバタ入りの茶がきらいでも」と運転手はいった。「あなたは二、三杯はぐつと飲まねはなりませんぜ。ぼくほ、バタ入りの茶が大好きですがね、塩辛すぎるという人もあります。それからもう一つ、もし他のものがみな手を使って食っているときに、あなたも同じようにしなかったら、あなたが自分たちを見おろしていると思います」

バタ茶というのが想像できませんでしたので調べてみましたが、日本人で旨いと感じる人は少なそうです。
http://homepage2.nifty.com/TEA/chibetto.htm


それにしてもこの二郎山越えは人民解放軍が来る前は想像を絶する難路だったようですね。
チュー運転手が初めてこの道を越えたときの描写がされています。

運転手のチューがはじめてこの道路をのぼって行ったときには、そこかしこの地点で、後部のタイヤ全部が道におさまるだけのはばがなかった。そしてそのもろい岩質の上にはばを二、三センチだけひろげるためには、道の上にかぶさる断崖の垂直両全体を上下数百メートルにわたって切り崩さなけれはならなかった。現在道路は、日まいがするはど鋭いジグザグ形をなして、屈折また屈折して走っているが、どの地点においても二台のトラックがすれちがえるだけのはばをもっている。しかし、工事はなお続行中であって、トラック隊がたえまなく往復しつつあるあいだにも、道をひろげ、カープと勾配とをゆるやかにし、排水渠を掘り、橋を改造して行っている。木の葉脈のように縞目をなして這にながれ入る細流、滝のような豪雨や雪どけの脅威などもすべて、徐々に制御されつつあるのだ。

共産党政府による土木工事が進んでいっている様子が見えますね。

ともあれこの悪路を人民解放軍が初めて通った時の様子が描写されています。

二〇年前、紅軍の決死の部隊は、この墟定の古い橋の床板を国民党の軍隊が焼きはらった後から、鉄の鎖をつたって戦いすすんだのであった。白から志願した兵隊の少数のものが、手でぶらさがって、機関銃火の集中するまっただ中に突きすすんで、ついに対岸を占拠したのだがこれは中国革命の危急存亡をかけた戦闘の一つであった。

長征の事を指しているようですが、共産党礼賛の雰囲気がだんだん出てきましたね。
あsて二十年前の紅軍の苦労を思えばこんなジープでの二郎山越えなどなんてことはないのだと筆者は言いたいようですが、ラサまでの道中、いかに共産党の政治がすばらしいかを延々と訴えられるような気がしております。

 

何かを感じたらクリックお願いします→Banner2_7

http://strategy.co.jp/
保守系SNS『国民の総意』

| | コメント (2)

2008年5月 3日 (土)

「チベット(アラン・ウィニントン)」(2) 活仏の賓客

筆者は1955年の夏から秋にかけてチベット全土を旅行します。
行く道々は中国共産党の熱烈な歓迎があるものと思えますがおいおいわかっていくでしょう。

1949年に国民党との内戦に勝利した共産党は1950年にチベットに軍事侵攻します。
それを受けて1956年からチベット騒乱が起こり、チベット人漢人双方共に大きな犠牲を出すのですがこの旅行はその前年。
動乱前年のチベットをイギリス人はどう見たのでしょうか。

さて本文。

チベットに入る前に筆者は同行する各国の視察団のメンバーと共に健康診断を受けます。
血圧についてかなり厳重な検査が行われたようです。
ご存じのようにチベットは標高が非常に高い高原の国です。

低地からきたものは、彼が健康な若者であったとしても、空気中の酸素の含有量の低さに適応するだけの赤血球の数をもつようになるまでには、六週間から二ヶ月くらいはかかる。その間、二、三歩坂をのぼっても、すぐ目まいがしたり、動悸が早くなったり、たちまち消耗したりする。(略)私が聞かされたところでは、その状態は、あたかも心臓が、その一鼓動ごとに胸部をぶちやぶろうとしているように、また脈を打つ血液が、鼓動する鋼鉄の環で脳髄を圧搾しようとしているかのように感じられるそうである。(P8)

高山病になったこともないので想像もつきません。高地訓練してからじゃないとかなり辛い所のようですね。
ともあれ血圧診断で合格した筆者と一行は、チベット入りする前に成都に何日か滞在します。
成都はラサの東1200km。チベットを目指す人が必ず通過する都市ですがそれでも東京~博多間の1.5倍です。大陸内ではこれでも近い方なんでしょう。

さて筆者と一行は「成都少数民族学院」で幾日かを過ごします。
少数民族を同化させたがっているはずの中共ですのでこの学校で何を教えているのかが気になります。
ちょっとだけ調べてみましたが今はその名前ではなく西南民族学院となっている様子です。
共産党はなぜわざわざ外国人記者を学校で過ごさせたのでしょうか?
弾圧などしていないというアピールでしょうか?

ともあれ筆者はここで幾人かのチベット人の若者と出会います。

ラサの貴族の家で働いていた元小間使いの娘。
同じ家で働いていた厩番の青年と恋に落ちて駆け落ちをして中国軍に救われたとのことです。
身の上話は脚色がついていることがほとんどですのであまり興味はないのですが、仕えていた家の事からチベット貴族がどういう存在であったかを伺わせる記述があってここは興味があります。

 社会という天秤でいえば、この二人とちょうど正反対の位置にいるのが、ラサで特殊な貴族の、美しい息女、ジョーマ・ブージェである。その貴族ほ多年、ラマ教の支配的宗派の活仏であったから、もちろん、結婚は禁じられていた。だが彼は、前の第十三世ダライ・ラマの気にいりだったので、五十四歳の年に、恋におちいった噂、教皇から結婚の許しをえた。彼の娘は、数人の子たちのうちの長女で、ラサで買入れた高価な英国製ウーステッドの寛衣を着、大きな金の腕時計をもっていたが、それは秒をきざむだけでなく、月相までしめすという、ひどくごていねいなものだった。彼女は、高雅なチベット服装をしていたが、頭には先きのとがった工人帽をかぶり、おさげにした髪をその中へたくしこんでいた。

チベット貴族というものは贅沢なものだったんだぞ、という描写になっています。
贅沢の限りを尽くすチベット貴族、搾取に苦しむ一般のチベット人というような記述が続くのかもしれません。

あと一妻多夫の制度についての記述もありますね。

私は、一妻多夫の制度について、彼女にきいてみたーこの問題について、私は何回となく質問したが、これが最初の質問だったーすると彼女はいった。「はい、そうです。たしかに一妻多夫制はあります。だが、私の家族ほ、それをいいこととみとめていません。私は、大の女が二人か三人の夫を持っているのを、いくつか知っています。夫たちはみな兄弟です。しかし、二、三人以上になることはありません。その理由は、わかりません」

原始的な結婚制度を共産党の指導により改めた、という事を言いたいのでしょうか?

次は年長の学生、ジャイジ・ロブについての記述と移ります。
ジャイジ・ロブはカム地方に住んでいた小部族の首長の息子です。
Mapak1
彼の父が率いる部族は、マジャ族との抗争に勝利を収めて豊かな生活を享受しますが、逆恨みからチベット政府のお尋ね者となってしまいました。
カムでの生活が危うくなったロブの父は、ロブを
甘粛省へ送って移住先の土地を探させます。
そしてロブは国民党と戦闘中の人民解放軍に出会うわけです。1950年のことです。


「あんたもわかってくださると思うが、おれたちは、蒋介石の連中には怨みを持つわけがあった。おれは、事情はどういうことか、あんまりはっきりわからなかったけれど、もし解放軍が蒋介石を敵にしているのなら、おれは解放軍の味方だった。それで、解放軍の輸送を手伝ってやった。それからまた、解放軍が渉外事務といっている仕事もやった。軍隊の先頭に立って、人民に向って、解放軍はよい軍隊で、荷をはこぶ費用はぜんぶはらってくれるし、家畜を殺すことはないのだと説明しました」

ロブの部族は、国民党軍に苦しめられていたようですね。
「敵の敵は味方」とは毛沢東の言葉ですが、その通りの事を人民解放軍は実践してロブの部族を味方につけたわけです。

ロブは解放軍の露払いをしながらカムに近づいていきます。
そして解放軍の仲裁によりロブの部族は敵対している部族と和解します。
おかげでロブの部族はカムの地に安住でき、家畜の盗難の少ない社会が到来し、今では首長であった彼の父親は県政府の役員となって活躍の場をそこへ移すことになりました。
そして、父の薦めと解放軍の援助でもってロブは成都へ教育を受けに来たという次第です。

共産党の懐柔策がよくわかるお話ですが、話し合いで部族間の調停を行い、結果として平和な暮らしができるようになってみな満足しているのでしたら、これはあまり細かい非難はせず認めるべきでしょう。
共産党支配により喜んでいた人もいた、ということですね。

最後にロブは、長年敵対していた宿敵、マジャ族の若者と友人になれたことを筆者に紹介します。

ロブは、やはり学生になってきているマジャ族の一人を私に、紹介した。二人はたがいにしたたか肩をたたきあい、それからロブは説明した。「最初は、われわれは顔を会わせたくもなかった。そして、昔の根のかたをつける時をねらって待っていました。だが、その根のおかげで、われわれはたっぶり話し合って、手を振り合うことになったんです。われわれは決闘しないことに同意して、友だちになった」

私がひねくれてるのかもしれませんが、何かうさんくさいですね(笑)。
ともあれ筆者は民族学院での滞在を終わらせてラサへと出発します。

旅に出かける前に、成都でこうした学生たちとかたり合って、チベットの強烈なにおいを嗅がされた私は、行程2400キロ以上におよぶ、「聖都」への旋に出発することが待ち遠しくてたまらなくなった。

どんな共産党のご用意が待っているのでしょうか。

何かを感じたらクリックお願いします→Banner2_7

http://strategy.co.jp/
保守系SNS『国民の総意』

| | コメント (1)

2008年4月29日 (火)

「チベット(アラン・ウィニントン)」(1)

チベットは僧侶の多い社会であったということはみなさんご存じかと思います。

しかしそれ以上の事をご存じの方は少ないのじゃないかと思ってます。

個人的な勉強として、ひいてはみなさんの知るよすがになればと思って過去のチベット、現在のチベットについて調べていきたいと思います。

何調べてもそうですが常に信憑性を疑いながら進めていきます。

ぼちぼち書籍も揃えている所ですが、まずは古典として、岩波新書の「チベット(上下)」(アラン・ウィニントン)をご紹介します。

イギリス共産党の機関誌の記者が書いたものですから信憑性は大いに疑うものですが、今漠然と私が持っている「チベットは古代の香りを残す牧歌的な社会であった。そこへ野蛮な中国共産党が攻め込んできて何もかも壊した」のようなイメージを一度フラットに戻したいのです。

それでは無茶をしますがまえがきを全文複写します。出版元より抗議が来たら削除しますが、おそらくそんなことはないでしょう。

 この書で私がこころみたことは、読者が、事の正邪善悪、さまざまの難問題、また進行中の新しい企図について、自らの判断を下し得るように、雲上の国の私の長期旅行の見聞を、事実のままに記述することであった。その後、ダライ・ラマを取りまく貴族集団による反乱がおこった。

 チベット問題の焦点というべきものは、シソカ・ジグメ・ドルジェ(貴族)が私にかたったことに、率直に表明されている。彼は、最高位の僧籍貴族のひとりであり、「カシャ」すなわちダライ・ラマを掌握しチベットの衛(衛蔵)と呼ばれる地域を支配する貴族団の「六人内閣」の閣員であった。「農奴がなければ、生活はどうしてつづけてゆけますか。われわれは農奴なしには、生きられません」彼が私にこう告げたのは一九五五年であった。

 彼は、簡単明瞭に、チベット国内政治の基本問題を説明したことになるのである。それは、数千の俗籍および僧籍の貴族が、約一〇〇万人の農奴に絶対権力をふるいつづけ、その国防で残酷な制度を温存すべきかいなか、ということである。

 もちろん、チベット問題の全容は、もっと複雑である。チベットは、多年、西方からの外国の侵透にまかせられ、は、とんど一世紀にわたって、帝国主義勢力は、北京とラサとのあいだの古来の結合を切断する努力をつづけていた。とくに、共産党が中国の拒導権をにぎって以来は、チベットを、もう一つの、もっと危険な、中国の脇腹深く擬せられたところの「台湾」としようとする強行策が取られたのであった。そして同時に、チベットでは変化がおこった。貴族たちは新しい噂好をもつようになり、高価な外国物資をは、しがった。だが、それらを入手しようとしても、すでにぎりぎりの生存すらもむつかしいまでに搾取しつくされた一〇〇万の奴隷と、輪はただ祈祷の輪(本文参照1訳者)をまわすことに用いられるというような原始的生産状態とからは、これ以上しぼり出すことは不可能に近かった。チべット貴族の前には、二つの道があるのみだった。-中央政権(中国)と協力して、順を追ってチベットの退嬰的封建制を改革し、産業化によって全体の生活水準をたかめることか、それとも、外国の援助をもとめてチベットを中国から引きはなし、ドルとポンドとの厄介になりながら封建性を延命し、そしてチベットをアジヤの心胸部における巨大なるロケット基地と化するか、であった。

 チベットは変化せざるを得なかったのだ。それに対して、善意からではあるが「どうしてチベット人たちを、古来ずっとそうしてきたようにさせておいては、いけないのか」という人々は、二十世紀の意味と、世界が小さくなったことと、それから、スイス製時計やドイツ製カメラや英国製布地やスコッチ・ウィスキーやラジオ・セットなどが、すでに世界の直税を変貌させてしまっているという事実全体とを、無視することになるのである。彼らはまた、発展する中国がチベット人のあらゆる層に威信を高めてきたということの意義を看過することになるのである。チべットは、もはや古いチベットでありつづけることは不可能となり、ただ問題は、外国支配による封建制か、それとも改革か、というところにあった。(今では、その問題は、存在しなくなった)。

坂乱をただ一わたり詞べただけで貴族中これを支持したものは少数だったということが明

白になる。農奴所有者は、その農奴たちを、何故にたたかうかの理由を告げきとなしに、戦闘に駆りたてる権利をもっている。この俗籍奴隷のほかに、強固な集団生活をいとなむ十五万ないし二〇万の僧侶-チベットにおけもっとも有能な戦闘力がある。それであるのに、数年の秘密裡の準備にもかかわらず、封建主義のための戦いに召集し得たのは、はんの二万にすぎず、しかもその大部分は、東部境界線地域の半職業的戦士のカムバ族-いまだかつて何ものに忠誠を誓ったこともなく、大塊模の掠奪の機会にすぐに飛びつく連中-であった。その反乱が数日にして鎮圧されたという事実が、何よりも雄弁にかたっていることは、それが「国民約」蜂起ではなく、ただあの貴族が抱いた疑問-農奴所有者はその農奴を持ちつづけるべきかという問題により巻きおこされたものだということである。またこの坂乱によって明らかになったのは、貴族の大多数が、中央政権が提示する線にそっての漸次改革に若し、つまり、上層階級と僧職者との政治的地位と生活水準とを保有し、ま宗教の自由を保証しつつ、農奴の解放と土地所有権の改革とを行う途をえらぼうとしたということである。

いかなる変革にも反対した極端に保守的な貴族たちは、いまや孤立し、亡命の途をもとめた。かえりみれは、中央政権の一九五六年の宣言によれは、改革は、貴族たちに、たがいに問題を十分に協議する時間をあたえるため、一九六二年までは提議されないだろうということだったが、今度のことの結果として、極端な保守派が反対した改革が、その計画よりもいっそう早く行われることを可能とした。

 過去においては、チベット民衆の九五パーセントー一兵奴と各種奴隷との声は、何ら聴かれることがなかった。私が「ぶしっけな」質問をした時、農奴たちほ、その境遇についてかたることを恐れ、ひじょうに当惑してしまったのであった。もちろん、ジャーナリストほ、後進社会制度でこういう事態にぶつかることは、めずらしくはない。飯乱が弾圧され、民衆が勇気を出すようになってほじめて、中央政権は、一〇〇万のチベット人が餓に坤吟し、一方、日夜神々の光栄のために何千ポンドのバタが焼かれる寺院にほ黄金と穀物とが山と清まれるという、暴虐の全容をつかむことができたのである。チベットは中世的であって、日をえぐつたり、生身の皮をはいだり、腱を切ったり、鞭打ったり、また、貴族は平民の女にほいつでも手をつける権利があったり、法に拘束されることなく強制労働を課したり、奴隷制よりもおそるべき高利を取立てたりすることなどは、いつまでも中世紀の中にある社会として、正常のことであるといい得るのであろう。しかし、これらすべての旧態を保存し、そのためには人民を外国に売りわたす貴族たちを、二十世紀の「自由戦士」呼ばわりすることは、どういうものだろうか。

 私は、最近の出来事を頭に入れながら、この本を読みなおしてみたが、書きなおしたいと思う部分は、どこにもなかった。付け加えたいことは-たとえば、封建制は人民にとってどういうものかについての詳述など-いくらかあるが、しかし今日の情況は大体において、私が見た時と変ってはおらない。ただ一つの変化は、坂乱の首領たちの土地は農奴たちにわたされ、彼らは、はじめて自己の利益のために耕作するようになったことであり、この一歩は、チベットの全農奴に対して強力な影響をあたえるであろうし、したがって改革運動を促進することになるであろう。将来に-近い将来に、かずかずの大変化がおこるであろう。しかし、それについて予言したりすることは、無益に近いことである。それで私は、とにかく、読者諸君にこの私のチベットの旅に同行してもらい、その後に起ったことについては、自らの結論をつけられるようにおねがいすることにしたい。

僧というのは人を教え諭す崇高な使命を持った人達ではないのでしょうか。

それが、「農奴がいないと生きていけない」なんて事を本当に言っていたのでしょうか。

・・・・言っていたのかもしれませんね。僧籍にある人は非道な事はしないなんていうのはあまりに無知でしょう。
私は嫌韓から政治、歴史に興味を持っていった経緯があります。

嫌韓派と擁韓派の対立点はしばしば植民地支配についてになります。

擁韓派が「朝鮮を植民地として搾取した!」と言うと

嫌韓派は「近代化させてやった恩を忘れて何を言う!」と返すのが常です。

このチベット問題と日韓併合とで共通点はないでしょうか?
近代化が遅れた地域に踏み込んでいった日本軍と共産党軍
当時の朝鮮の一進会など、併合を歓迎する向きがあったことは承知しています。
するとチベットにも、中共軍を歓迎する空気があったのでしょうか?
よく嫌韓派の言い分に「鉄道を造った。道路も造った」と言いますが、現在の青蔵鉄道と日本が朝鮮、満州に引いた鉄道とでは何が違うのでしょうか?

一国の歴史を完全に理解することなど不可能でしょう。
そこについては謙虚な気持ちで、調べた分だけ視点が変わるという気持ちで一つ一つ調べて行こうと思います。

何かを感じたらクリックお願いします→Banner2_7

http://strategy.co.jp/
保守系SNS『国民の総意』

| | コメント (1)

2008年3月23日 (日)

チベット関連ニュース:3/17

チベット代表、平静さを強調・全人代

 【北京=戸田敬久】中国チベット自治区ラサでの大規模暴動から一夜明けた15日、全国人民代表大会(全人代、国会に相当)が開催中の北京では、人民大会堂前に国内外の100人前後の報道陣が殺到したが、会議に出席したチベット代表からは事態の平静さを強調する声が多かった。

 民俗衣装で会議に参加したチベット代表の男性は「事態は既に収束した」と強調。別のチベット代表の男性は「チベットは非常に安全だ」と話した。軍関連の代表は「話せない」と答えるケースが大半だった。(日経ネット)

平静だと思ってる人は一人もいないのでしょうけど、こう言うしかありませんでしょうね。

チベット騒乱拡大 四川と青海の自治州でも

【北京=野口東秀】中国西部のチベット自治区ラサで起きた僧侶らによる大規模騒乱に続き、16日には、抗議行動がチベット自治区以外に拡大し、AP通信によると、四川省のチベット人の自治州で起きた当局と市民の衝突で少なくとも7人が死亡した。一方、インド亡命中のチベット仏教指導者ダライ・ラマ14世は同日、亡命政府のあるインド北部ダラムサラで記者会見を開き、騒乱で多数の死者が出たことについて「文化的虐殺だ」と非難、事態の解明に向けた国際社会の調査を要請した。

 APやロイター通信がチベット人人権団体や住民の話として伝えたところによると、四川省の自治州では、約200人が警察署に火炎ビンを投げつけた。警官隊の発砲で、少なくとも7人が死亡。また、チベット僧と警官隊の衝突で警官1人が殺害され、3、4台の警察車両が放火された。

 青海省の自治州では、僧侶約100人が修道院に監禁されたことに反発し、修道院裏の丘に登って花火を打ち上げたり香をたいたりした。甘粛省の省都蘭州では、学生100人以上が抗議デモを展開。15日に警官隊が僧侶らのデモ隊に催涙弾を発射した同省内の自治州夏河県やラサには16日、外出禁止令が出され、厳しい統制下にある。

 チベット亡命政府のあるインド北部のダラムサラで記者会見したダライ・ラマ14世は、中国当局の弾圧を「恐怖による統治だ。平和を装うため、武力に頼っている」と批判、「国際的な組織がチベットの状況を調査する努力をしてほしい」と訴えた。 

 また、チベット亡命政府は同日、騒乱で「少なくとも80人が死亡したことを確認した」と発表した。犠牲者数をめぐっては、中国国営新華社通信は「少なくとも10人」とするこれまでの発表数字は変更しておらず、警官と武装警察部隊員計12人が重傷を負ったと指摘。中国当局は、外国メディア、特に中国国内の常駐記者がチベットから報じることを禁じており、実際の被害状況を把握することは難しい状態。中国政府の情報統制に、国際社会の批判が高まっている。

 亡命政府によると、10日の抗議行動は平和的に行われていたが、軍が装甲車両とみられる車を投入。群衆に発砲したために混乱し、一部当局者は僧侶に変装してデモ隊の鎮圧にあたり、これがデモ隊を挑発し当局車両への放火などにつながったとしている。

昭和40年にチベットから来日し、桐蔭横浜大学法学部教授でダライ・ラマ法王アジア・太平洋地区担当の初代代表も務めたペマ・ギャルポさん(54)は、チベットでの騒乱について、「チベット人たちの安否が心配だ。中国はいつまでチベット人を傷つけるのか」と同朋たちが危険にさらされていることに怒りをあらわにしている。

 ペマさんは「チベットは歴史的にも文化的にも独立性が高く、これまで中国政府が抑圧的な態度で掌握しようとしたができなかった。今回もあくまでチベット側の暴動というようにしたいようだが、騒ぎが拡大したのは中国公安当局が挑発したのが原因」と引き金を引いたのは中国政府側との見方を示した。

 その上で「北京五輪が目前だが、中国政府が人権を尊重し、チベット人の権利を認めるまでは、国際社会にふさわしい国とはいえない」と話している。(産経ニュース)

チベット騒乱 4省540万人連動

 【北京=野口東秀、矢板明夫、福島香織】「あいつら(デモ隊)は狂っている」。四川省の衝突で、現地の警官はロイター通信に話した。チベット自治区ラサでの騒乱と連動する形で抗議行動は各地に飛び火し始めた。チベット人はチベット自治区を含め、四川、青海、雲南、甘粛などの各省にまたがる形で人口が約540万人とされている。当局が厳戒態勢を敷いても広範囲にまたがる地域だけに騒乱の連鎖を未然に防ぐことは難しく、暴動は一層の広がりを見せるとみられる。

 チベット支援関連団体のサイトなどによると、四川省内のアバ・チベット族チャン族自治州内のアバ県(約6万人の人口のうち9割がチベット人)のチベット寺院の僧侶ら数千人がデモ行進、「ダライ・ラマの帰国を」「自由を」と叫んだ。デモ隊に武装警察部隊が発砲、僧侶を含む7人が死亡したという。

 ロイター通信によると、アバ県では、チベット人約200人が警察署や店を襲撃、店や警察車両、トラックに放火、警察官数人も大けがを負った。デモ隊らは火炎瓶や石を投げつけ、これに対し、100人を超える武装警察部隊らは催涙弾などで鎮圧、5人を逮捕したと伝えられる。

 同団体などによると、甘粛省夏河県でも15日、チベット寺院やその周辺で数百人規模の抗議行動が発生、同じように治安当局は催涙弾などで解散させた。

 チベット自治区のラサは16日も引き続き武装警察部隊が市内の交差点や寺院など要所を銃を手に警戒し、封鎖区域は昨日より拡大しているようだ。ラサ在住のビジネスマンはフランス通信(AFP)に対し、「町は死んだように静まりかえっている。わずかに子供や人々が出歩きはじめたくらいだ」と話した。

 中国政府は現在、外国人のチベット自治区入りを事実上制限、ラサでは市民も外出できない状況が続いている。外部から電話をかけても「故障」との理由で電話回線が切られる場合があるなど、情報の統制は続いている。

 ラサ在住で比較的正確に情報を知る立場にあるチベット人女性が、インターネットのチャット形式を使って情報を提供してきた。

 それによると、抗議活動はチベット第2の都市シガツェなどにも拡大。5人の回族を除くとすべてチベット人市民と僧侶らだという。「ラサの街は武装警官隊であふれている。私たちは大丈夫だが、バルコ(ジョカン寺近くの土産物街)エリアの人たちは外に出られず食料が不足している」

 また、僧侶の抗議活動の目的について「中国政府は漢族・回族のラサ移民計画を進めているが、僧侶らはこれをやめるように要求していた」と説明。ダライ・ラマ独立分子の策動だとの中国当局の説明は、欺(ぎ)瞞(まん)に満ちているとした。(産経ニュース)

中国の地図が頭に入っていないのとチベット族がどんな範囲に住んでいるのかを知りたかったのでわかりやすい図を探してみました。

China_ethnolinguistic_83

東経105度より西はほとんど漢民族はいないのですね。人口比と面積比は全く一致しないようです。

チベット暴動:貧困にあえぐ住民、中国の抑圧に不満爆発

亡命政府日本代表インタビュー

 チベット亡命政府の出先機関、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所(東京)のラクパ・ツォコ所長(51)=写真=は16日、ソウルで本紙のインタビューに応じ、「今回のデモは突発的なものではなく、中国の60年にわたる抑圧政策の結果だ」と述べた上で、「中国政府の態度変化がなければ闘争は続く」との認識を示した。同所長はチベット亡命政府が海外に派遣している代表12人の一人で、韓国の各界関係者と交流するためソウルを訪れた。

 以下はインタビューの要旨。

‐中国政府は今回のデモが亡命政府によって組織されたものだと見ているが。

 「背後などない。これまでの中国政府による抑圧政策の結果、現地住民の怒りが自然発生的に噴出したものだ。10日に僧侶が始めた平和的なデモを中国政府が弾圧したため、一般住民が加わり激化した」

‐ダライ・ラマ14世とは無関係なのか。

 「ダライ・ラマ14世は一貫して対話と交渉を求めている。中国はダライ・ラマ14世が73歳という高齢のためいなくなることを待っているが、ダライ・ラマ不在でも亡命政府は独自に運営が可能なほど成長した。中国はダライ・ラマ14世の存在をむしろチャンスととらえ、対話を行うことが効果的だ」

‐チベット人の願いは何か。

 「ダライ・ラマ14世は“中道政策”を提示している。現在のような中国による抑圧的な統治は断固拒否するが、だからといって完全な分離独立を望んでいるわけではない。われわれの宗教と文化が認められ、われわれの手で選ばれた代表による自治を実現することだ」

‐中国政府はチベットの開発と生活改善に努力したとしているがどうか。

 「彼らがいう開発はチベット人の日常とは無関係だ。依然として貧しい。インフラ開発はチベットの自然資源を収奪するためのもので、生活の改善というのは移住した漢族と駐屯軍のためのものだ」

‐今回のデモは北京五輪開催を控えた時期に起きたが。

 「われわれは北京五輪に反対はしていない。しかし、中国は開催国として国際社会に対し道徳的責任を負わなければならない」

(朝鮮日報)

「彼らがいう開発はチベット人の日常とは無関係だ。依然として貧しい。インフラ開発はチベットの自然資源を収奪するためのもので、生活の改善というのは移住した漢族と駐屯軍のためのものだ」このあたりは厳しい言葉ですね。共産党の方は「経済発展こそが不満、暴動を抑える切り札」という認識を持っていると思っていますが、同時に「チベット人は二級市民として扱われている」という事も聞きます。

江戸時代の土佐藩の上士郷士の関係のような恨みに恨みを重ねたような構図になっているのでしょうか。

同日の同じ朝鮮日報の記事内に、暴動を視覚的に把握できるいい図があったのでご紹介します。

Chosun_nippou
おそらくこの中の「ジョカン寺」というのが最初の発端の場所ですね。

驚いたのが「チベット人とイスラム教徒の衝突で火災発生」という一文です。

イスラム教徒がどうからんでいるのか。

チベット暴動、中国ブログにあふれるナショナリズム

 入念な統制下にある中国のメディアは、チベットの暴動に関しておおむね沈黙しているようだが、同国のブログを見てみると、チベット人や西洋諸国への怒りやナショナリズムが激しく噴出している様子がうかがえる。

 中国は大衆の感情をあおらないよう定期的に検閲を実施しているが、オンラインへの投稿や2億人を超える熱心なインターネットユーザーへの締め付けはそれほど強くはない。

 3月15日には、怒りのブログ投稿が相次いだ。中国がチベットの首都ラサで死者が出たことを認め、米国の俳優リチャード・ギアが、中国当局がこの件への対処を誤ったら北京五輪をボイコットしようと呼び掛けたのを受けてのことだ。

 「西洋人は中国のことを何でも知っていると思っていて、あれは悪い、これは悪いと指図してくる」とあるブロガーは記し、チベットを中国の一部とするのは正当だとする歴史上の理由を上げ連ねた。

 「この件に関しては、ほとんどの外国人は以前から洗脳されている」と別のブロガーも同様の意見を述べている。

 敵意に満ちたナショナリズムを表しているブログはほかにもある。

 「行儀良くしていれば、文化と恩恵を守ってやるのに」とあるブロガーはチベットについて記している。

 「お行儀が悪くても、それでも文化は面倒を見てやる。博物館に収めてね。漢民族は正しいと信じている!」

 多くのブロガーは、亡命中の宗教的リーダーで、ノーベル平和賞受賞者のダライ・ラマが暴動を扇動していると非難している。

 「単純な僧侶たち。単純なチベット人。独立運動を陰で動かしているものを知っているんだろうか?」とあるブログには書かれている。

 あと6カ月足らずでオリンピックが開かれる北京の住民も、同様の意見を示している。

 「中国政府はこのガンを切り取らなければならないと思う。まずはダライ・ラマから。たとえわれわれがダライ・ラマと関係なくても、この暴動の背後にいる連中を逮捕すべきだ」とSongと名乗る男性は述べている。

 1989年の天安門事件の際の報道管制とは対照的に、中国ではオンラインチャットルーム、掲示板、ブログが盛り上がっていることから、国民が自分の意見を公に披露する機会が増えている。検閲官が投稿からわずか数時間後に問題のあるコメントを削除しているにもかかわらずだ。

 一部のWebサーファーは、海外サイトを閲覧中に偶然暴動の記事を見つけたとして、国内メディアの報道統制への憤りをあらわにしている。

 「国内紙はこの問題を取り上げていない。幸い、まだオンラインメディアがあるけれど」とある人物は記している。

 中国は1950年からチベットを支配しており、チベット自治区は何世紀もの間同国の領土だったと主張している。中国の学校ではこのような見解のみが教えられている。

 ほとんどのブログは中国政府の公式見解に賛成しているようだが、異なる意見のブログもわずかにある。

 「スターリン主義はあまり好きではない。チベットは中国の一部だという見方には賛成しない。少数民族にも、独自の発展の道を選ぶ権利はある」とチベットに4年住んでいるというあるブロガーは述べている。(ロイター)

リチャード・ギアの発言に中国の民衆のナショナリズムが刺激されているようです。

記事を見るに中共の情報統制は成功しているようです。

外国のサイトを完全にシャットアウト出来ているわけではなさそうですが、チベットは代々中国の一部であったというのは多くの中国人が信じている事です。

【記者ブログ】情報統制を超えて漏れ聞こえるラサの悲鳴をきけ! 福島香織

■国内はヨウツベも、BBCもアクセス禁止。ラサの電話は故障を装い、メールは届かない。一方で、中国CCTVは、抜き身の刀をさげた凶暴そうなチベット族の暴徒の姿をうつし、チベット族の無法を強調している。中国のネット世論は「チベット独立派を殲滅せよ!」「不要軟手(手加減などいらない!)」と雄叫びをあげ、鎮圧部隊は正義の味方扱いだ。見事な情報統制と世論誘導!さすが。

■しかも、これだけの無法行為がありながらも、国際社会では北京五輪ボイコット要求拒否が主流。さすが!中国の外交力、そしてパブリック・ディプロマシー力。日本も爪の垢でも煎じてのませてもらおう。

■今回、中国はCCTVなどで、現地の暴動の映像を流したが、中国的にはこれが成功だった。隠蔽しなかった分、情報公開の透明性は前よりまし、と国際社会に思わせ、海外メディアも、この同じ映像使い、公式発表を中心に報道した。赤い衣のラマ僧が商店を破壊したり、チベット族の若者が中国国旗・五星紅旗を燃やしたりしている映像。それだけで、テレビを見ている一般の人々は、中国もこんな凶暴なやつら抑えるには、多少の暴力もしかたなかったんじゃないか、と思いかねない。実際、日本の知人とさきほど、電話で話したら、そういう意見だった。

■しかし、この暴動が起きたきっかけは何だったのか?そこを忘れてはならないと思う。この暴動事件を「一部血の気の多いチベット族大騒ぎ」で納得してもらっては、彼らがあまりにあわれだ。暴動は一刻も早く収まってほしいが、今回の件では中国当局に非があることは、きっちり日本もふくめ国際社会として認識を一致させてほしい、と切に願う。

■16日夕、14日夜にチャットした友人と再びつながった。検閲ワードをさけながら、書いては速攻で削除しながらの、あわただしいチャットで、情報量は多くない。チベット自治区にネット・ユーザーは32万人しかいない。中国全土では2億1000万人もいるのに。しかもその32万人の多くは漢族だろう。チベット族でネットを自由に扱える人間は、限定されていて、監視を受けやすい。そういう危険を承知の上で、グレート・ファイヤー・ウォールをかいくぐって私に何かを伝えようとしてくる彼女。もちろん、彼女のもたらす情報がどれほど正確か、検証するすべはない。だが彼女とのチャット文面からにじむ焦りと民族の悲哀に、私は当局発表より、真摯なものを感じるのだが、みなさんはどうだろうか。

■彼女、ラインオン。

彼女「ハロー、ここは悪くなっている」

福島「ハロー?元気?」

彼女「今、入ったばかりの情報だけど、シガツェで抗議行動(衝突?)が起きている。」「ナクチェ県でも」

福島「どのくらい大きい?」

彼女「大きいわ、人数は調べているところ。僧侶はまだ含まれていない。」

福島「ラサはOK?」

彼女「外出禁止令が出ている。外に出ると撃たれるわ。街は軍だらけよ」「ラサは静か。でも郊外で抗議行動(衝突)は起きている。(ずらずらと地名がでてくる、五カ所くらい。あっという間に削除でメモれなかった!)」

福島「電気、水道、電話、食料、みな大丈夫?」

彼女「大丈夫よ、私の家にはザンパ(干菓子みたいなチベットの保存食)がたっぷりあるから!」

「でもバルコエリアの方は食料が大変みたい。長引くと飢える家がでてくる」

福島「家族は大丈夫?」

彼女「もちろんよ!」

福島「(暴動は)どんな風にはじまったの?」

彼女「14日、午前11時30分ごろ、ジョカン寺の近くにあるラムチ寺で僧侶がハンガーストライキをはじめた。これを軍(武装警察だろう)が阻止しようと、殴るけるなどの暴行のあげく発砲した。7、8人が死んだ。逮捕者もでた。これをきっかけに市民に怒りが広がり、暴力的な大規模デモが起きた。他の僧院も抗議のハンストに入った」

福島「ラムチ寺の僧侶は何人?」

彼女「70~80人」(寺院の1割の僧侶が虐殺されたわけだ)

彼女「市民デモは北京中路あたりで軍と衝突。軍は発砲を繰り返し、銃創や圧死(おそらく軍用車両で)で、このエリアだけで死者は70~80人は出ている。」

福島「市全体では何人くらい(の死者)?」

彼女「正確には分からないけれど100人以上。110から120人の間だと思う。(亡命政府の発表は80人の遺体が確認された、少女も含む。これから増える可能性も)」

福島「市民が多いの、僧侶が多いの?」

彼女「僧侶より市民が多い、若いチベット族が犠牲になった」

福島「政府は漢族の商人が犠牲になったようなことをいっていたけれど」

彼女「漢族の死者はない。回族が5人死んだ。」「チベット族は怒りにかられて回族のショップを襲った。それで回族が怒りチベット族を5人殺した。それでチベット族が怒り回族を5人殺した」「漢族が犠牲になったというのは、政府のウソよ」

福島「僧侶が破戒行動に参加したというのは本当?」

彼女「それは本当。回族の店に火をつけた」

福島「僧侶は何を望んでいるの?独立?」

彼女「それだけではないわ。僧侶たちは政府に、漢族・回族移民政策をストップするように要求していた」「政府は300万人の漢族・回族をラサに移民させようとしている。僧侶たちは自分たちの子供たちをまもろうと、この政策に反対を申し立てていた。今でもチベットの大学新卒者は就職難で、チベット族の失業者は多い。そんなに大量の漢族、回族がくれば、チベットの子供たちは生きていけない」

福島「最初のデモは10日?」

彼女「10日、デプン寺で起きたデモ行進は軍(武装警察)に制圧された。このとき発砲もあったし、死者や車でひかれた者もでた。人数は分からないけれど。逮捕者も相当でた」。

ここで、ラインオフ。

■ここに書いた以外にも、いろいろ書き込まれたのだが、地名や寺の名前は、速攻で削除されるので、あやふやなもの、読み取れないものもあった。今回の暴動の最初のきっかけは、軍による僧侶への発砲、暴力であった、というのが彼女の主張。しかも、僧侶らの要求は、独立という大層なものではなく、地域の移民政策への反対だった、という。当局のいうところの「ダライ・ラマ14世策動による独立分裂活動」のようなものではなかったという。
福島「市民が多いの、僧侶が多いの?」

彼女「僧侶より市民が多い、若いチベット族が犠牲になった」

福島「政府は漢族の商人が犠牲になったようなことをいっていたけれど」

彼女「漢族の死者はない。回族が5人死んだ。」「チベット族は怒りにかられて回族のショップを襲った。それで回族が怒りチベット族を5人殺した。それでチベット族が怒り回族を5人殺した」「漢族が犠牲になったというのは、政府のウソよ」

福島「僧侶が破戒行動に参加したというのは本当?」

彼女「それは本当。回族の店に火をつけた」

福島「僧侶は何を望んでいるの?独立?」

彼女「それだけではないわ。僧侶たちは政府に、漢族・回族移民政策をストップするように要求していた」「政府は300万人の漢族・回族をラサに移民させようとしている。僧侶たちは自分たちの子供たちをまもろうと、この政策に反対を申し立てていた。今でもチベットの大学新卒者は就職難で、チベット族の失業者は多い。そんなに大量の漢族、回族がくれば、チベットの子供たちは生きていけない」

福島「最初のデモは10日?」

彼女「10日、デプン寺で起きたデモ行進は軍(武装警察)に制圧された。このとき発砲もあったし、死者や車でひかれた者もでた。人数は分からないけれど。逮捕者も相当でた」。

ここで、ラインオフ。

■ここに書いた以外にも、いろいろ書き込まれたのだが、地名や寺の名前は、速攻で削除されるので、あやふやなもの、読み取れないものもあった。今回の暴動の最初のきっかけは、軍による僧侶への発砲、暴力であった、というのが彼女の主張。しかも、僧侶らの要求は、独立という大層なものではなく、地域の移民政策への反対だった、という。当局のいうところの「ダライ・ラマ14世策動による独立分裂活動」のようなものではなかったという。

■もちろん、自由アジア放送が伝えたように、投獄中の僧侶の釈放要求とか、いろいろな不満がつもりつもっていたのだろう。昨年末で、政治犯として投獄されたチベット族は僧侶を中心に119人。活仏の当局による管理・許可制導入など、チベットの伝統・宗教文化を完全になめくさった政策を強引に導入するなど、外国人にはどうしてそこまで締め付けねばならないのか、踏みにじらねばならないのか、理解に苦しむほど、チベット族への圧政がある。たとえ、ダライ・ラマ14世の存在感、影響力が共産党中国の想像を絶するほど大きく、中国指導者が過剰におびえているとしても、あまりにひどすぎる。

■こういう状況でおきた僧侶のデモだが、300人レベルの坊さんのデモを武装警察を突入させて制圧する必要がほんとうにあったのだろうか。300人レベルの抗議活動なら、香港では毎日起きている、とはいわないが、比較的頻繁に起きている。ダライ・ラマ14世が求める高度の自治とは、この香港レベルのなんちゃって自治・一国二制度にすぎないのである。一国二制度くらいいいじゃないか、と私などは思うが。

■暴動の原因が何なのか、どういう経緯でかくも悲惨な大暴動に広がったのか、今は断片的な情報の寄せ集めで見えない部分が多い。中国側公式発表をうのみにして、それを既成事実としてしまうのは、毒ギョーザ事件の真相を中国公式発表どおりの見解で処理するのと同じだろう。

■ダライ・ラマ14世は、この暴動について、国際的な独立した調査団派遣を望んでいる。ぜひ、日本もこの意見を支持してほしい。暴動は今や飛び火、拡大している。今、ここで国際社会に見捨てられると、沸点の低いチベット族は、それこそ玉砕覚悟で蜂起するかもしれない。

■毛沢東が行った対チベット政策がいかに苛烈にして陰惨であったかは、わざわざ私が言うまでもないが、その記憶を受け継いでいる若いチベット族は今でも大勢いる。一見、漢族にとけ込んで暮らしている普通のチベット族の若者も、ふと酔った瞬間、もし状況がこのままならば、殺された祖先の数だけ漢族を叩き切って自分も死ぬのだ、といまだにうわごとを言う人もいるのだよ。その深い恨みと悲しみを本当に癒すのは、金でもなく、女でもなく、ダライ・ラマ14世の帰還と宗教の自由というあたり、チベット族のメンタリティは、中国人にも日本人にもなかなか理解できないのだが、それは尊重せねば多民族国家は成立しえない。

■あす(というか今日)17日は、ダライ・ラマ14世インド脱出の記念日。多くのチベット族・僧侶の心がざわざわする日だ。どうか、恐ろしいことがおきませんように。血がながれませんように。私まで心がざわざわする。ひとつ間違えば、本当に北京五輪どころではなくなるかもしれない。(産経ニュース)

ラサに住んでいる人とチャットをして生の情報を知りたい、と思っていましたが産経の福島記者がやってくれていました。これは大変興味深かった。

NGワードをすぐに削除しないと検閲の目に触れてしまうというのは「やはりそうか」という感じです。イスラム教徒(回族)とチベット族との衝突というのがよくわかっていませんでしたが、中共の移民政策は漢民族だけではなくイスラム族も移住させる対象だったようですね。

福島記者のブログには興味深い情報がたくさんありました。

例えば今日(3月23日)からは北京からyoutubeへのアクセスが可能になったようですね。

裏返して言うと、暴動の再発はもうないだろうという中共の上層部が判断したということかと思います。

しかし中国に住みながらここまで不穏な記事を書く福島記者には感謝です。

みなさんどうかお気に入りに追加を

http://fukushimak.iza.ne.jp/

ベット暴動:中国はなぜチベットに執着するのか

 インドとの衝突を防ぐ緩衝地帯とネパールの北側に位置するチベットは、世界で最も高原に位置し、「世界の屋根」と呼ばれる。チベット語で「神の土地」を意味する中心都市ラサも海抜3700メートルにあり、チベット自治区の平均海抜は4000メートルを超える。

 険しく荒涼とした大地が大部分を占めるチベットだが、中国にとっては大きな財産だ。面積は韓半島(朝鮮半島)の約6倍に当たる123万平方キロ。天然資源もダイヤモンド、マグネシウム、鉄、石炭、クロムなど70種類以上の埋蔵が確認されており、経済的価値が極めて高いとされる。

 2006年7月に青蔵鉄路(青海省西寧-チベット自治区ラサ)が開通して以降、沿線ではスズ、鉛、亜鉛の大規模な鉱脈が新たに16カ所発見された。このうち5カ所では合計でスズ2000万トン、鉛・亜鉛1000万トンの埋蔵が確認された。さらに森林、木材、水資源、太陽熱資源などが未開発の状態で残されており、超大型のウラン鉱山も複数ある。資源安全保障に総力を挙げる中国にとってはまさに「宝の箱」だ。

 軍事戦略的な価値も高い。高原地帯は地理的特性から兵器の配備や開発に理想的だ。中国の原子力研究の中心機関である「第9研究所」(西北核武器研究設計学院)は数年間、チベット北東部に拠点を構えていた。チベットはインドとの衝突を防ぐ緩衝地帯として、軍事戦略的にも中国政府が決して放棄できない地域なのだ。

 専門家の多くは、「チベットの経済的、軍事的価値が高い上、ウイグル族など他の少数民族の分離独立要求が噴出する可能性があるため、中国政府が独立や自治に関する要求を容易に受け入れることはない」とみている。(朝鮮日報)

韓国の新聞は日本の事以外は結構冷静な記事が多いです。

「ここまで騒動を起こしながらもなおチベット領有にこだわる中共の真意は何か?」と思っておりましたがそのものズバリな回答がここにありました。資源と核ですね。

チベット暴動:成都、厳戒態勢…警官隊投入、道路も封鎖

成都市内には公安警察の車が大量に出動。緊迫した雰囲気に包まれている=16日撮影 【成都(中国四川省)西岡省二】中国チベット自治区ラサで起きたチベット仏教僧や市民らによる大規模暴動を受け、同自治区に近い四川省成都のチベット族住民居住区には警官隊が投入され、警戒態勢を強めている。同地域のチベット仏教僧らによる抗議行動の動きはないものの、16日夜から周辺道路が封鎖され、17日朝には警戒に当たる武装警官の数が2倍に増強されるなど、一帯は物々しい雰囲気に包まれている。

 市中心部にある武侯祠横街と武侯祠東街の交差点付近は、チベット族が密集して居住する。チベット仏教僧の僧衣や経典、チベット伝統音楽のCDなどを販売する店が軒を連ね、チベット仏教僧が大勢行き来している。伝統音楽が鳴り響き、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の写真を掲げている商店もある。

 工芸品店主のチベット族男性によると、大規模暴動の起きた翌日(15日)から交差点付近に大勢の公安警察官が動員され、交差点を取り囲むようにパトカーが5~6台配置された。武侯祠横街につながる道路にもパトカーや、武装警察官の姿も目立つ。

 公安警察官の一人は「北京五輪の保安対策を実施している」と毎日新聞に語った。

 この店主はラサでの大規模暴動をテレビで知ったといい、「火をつけたり、暴れたりした人が悪いのではないか」と淡々と語った。また、同街で僧衣を見ていた仏教僧は「成都のチベット族は中国政府に対する反感は表に出さない。ただ、小さな出来事で潜在意識の中にあるものが一気に噴き出すのかもしれない」と話した。(毎日jp)

成都でも警戒が強まったようです。

ダライ・ラマ発言は無意味=「文化虐殺」に反論-チベット自治区指導者

 【北京17日】チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が16日の記者会見で「文化的虐殺」とチベット問題で中国を非難したことに対し、国営新華社通信は17日、「全く無意味」とするチベット自治区指導者の反論を伝えた。

 自治区人民代表大会のレグチョグ常務委員会主任は「農奴制の旧社会には『市民』の概念は存在さえしなかった」と述べ、共産党政権によってチベット人民が解放されたと指摘。チベット寺院など伝統文化も保護されていると強調した。(時事通信)

あくまで「侵略ではなく解放だ」と言い張る中共には怒りを感じます。

しかしこのあたり、チベットの歴史をじっくり調べていく中で明らかにしていきたい所です。

新華社通信、ラサ暴動の詳細を初めて伝える

 【北京=牧野田亨】中国国営新華社通信は17日、中国語の配信記事でチベット自治区ラサで10日から14日にかけて発生した一連の暴動の詳細を初めて伝えた。

 チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が昨年米欧を訪問した際、「2008年は重要な年だ。(北京)五輪は恐らくチベット族の最後の機会だろう」と述べ、北京五輪とチベット問題を関連付けて国際社会にアピールしようとしていたとし、暴動を「ダライ・ラマ一派の策動」と非難している。

 新華社は暴動の経過についてこれまで海外向けの英文記事で報じていた。ただ、今回の記事も中国側がどうやって暴動を鎮圧したかには触れていない。

 同通信によると、市郊外にある名刹(めいさつ)・デプン寺の僧侶約300人が10日、市中心部に入ろうとして警官側と衝突。11~13日に僧侶が集まって投石などを始め、14日には行動がエスカレートし、この結果、小中学校など22の建物が焼け落ち、数十台の車が燃やされた。無関係の住民10人が殺害され、警察官も2人が重体、10人が重傷を負った。(読売オンライン)

デプン寺が最初の発端というのは産経福島記者がチャット相手の女性に聞いたことと一致していますね。

チベット暴動:欧州各国で抗議行動

 【パリ支局】中国チベット自治区ラサで、デモ隊と中国当局が衝突し、死者が出たことに対する抗議活動が欧州各国で16日、繰り広げられた。

 パリの中国大使館では、デモ隊の一人が大使館によじ登り、中国国旗を掲揚ポールから引きずり降ろし、その代わりに、中国政府が禁じているチベットの旗を結びつけた。警官隊は、デモ隊に催涙ガス弾を使用した。

 ローマの中国大使館前では、デモ参加者たちが大使館前の路上に横たわって抗議の意思を示した。また、オランダのハーグでは、数百人が中国大使館に向かって投石、警官隊に解散を命じられた。(毎日jp)

フランス、イタリアでは怒りの声が強いというのが確信できますね。

中国チベット自治区ラサで16日、道路を占拠する装甲車両=ロイター

 同主席はデモ隊の制圧は武装警察と公安(警察)が行っており、軍は加わっていないと強調。「治安部隊は発砲しておらず、戦車など人を殺害する武器は一切使っていない」と述べた。重傷者6人を含む61人の警察官が負傷したという。

 新華社通信によると、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が中国政府を批判したことに対し、自治区高官は16日、「全くナンセンスな発言で、僧侶と住民は完全な信教の自由を享受している」と反論。ラサ市のドジェ・ツェジュグ市長も「分裂主義者の妨害さえなければ、チベットは歴史上最高の発展期にある」と述べた。政府機関や学校は17日から平常通りに再開するという。

 また、新華社は16日、事件後初めて「ダライ(・ラマ14世)集団の社会破壊活動は必ず失敗する」との論評を発表、「表面上はチベット独立を放棄したと言っているが、実際は分裂破壊活動をやめていない」と批判した。

 ダライ・ラマ14世が「北京五輪が開かれる08年は、チベット人にとって重要かつ最後のチャンスになる」「五輪期間中にデモ活動を行い、要求を訴えるべきだ」と発言していることを取り上げ、チベット問題と五輪を絡めていると指摘。暴力行為を先導しているのは間違いないと断じた。

 一方、インドに拠点を置く非政府組織(NGO)チベット人権民主化センターのウェブサイトによると、チベット人が多く住む四川省のアバ県での治安部隊との衝突による死者は計15人に達した。遺体は僧院に運び込まれ、20代半ばの元僧侶も含まれているという。

 ■米、政策変更促す声明

 中国チベット自治区ラサでの僧侶や市民らによる抗議行動に端を発した治安部隊との衝突をめぐり、ライス米国務長官は15日、中国政府にチベット政策の方向性を変えることなどを促す緊急声明を出した。

 ライス長官は「宗教、文化、生活面で影響を与え、緊張を生んできたチベット分野での政策に取り組むよう中国政府に求める」とし、政策修正が必要との考えを示した。

 長官は中国政府に「平和的な意思表示を理由に拘束されている僧侶らを釈放するよう求める」とし、また「暴力が拡大の傾向にある」と懸念を表明。「暴力に訴えないよう双方に強く呼びかける」とチベット人側にも冷静な行動を呼びかけた。

 ■「直接対話を」 独首相求める

 中国チベット自治区の騒乱をめぐり、メルケル独首相は15日、政府報道官を通じ「チベット問題を解決するには平和的な直接対話しかない」と、中国政府とダライ・ラマ14世との直接対話を呼びかけた。

 また、シュタインマイヤー独外相が16日、楊潔チー(ヤン・チエチー)外相と約1時間にわたり電話会談。「最大限の透明性を確保して、事態を収束させて欲しい」との見解を伝えた。

asahi.com)

「治安部隊は発砲しておらず、戦車など人を殺害する武器は一切使っていない」と言っているようですが、そろそろこのような記事も出てきています。

http://ameblo.jp/lancer1/entry-10081299858.html

旅行者が命がけで撮影した動画がこれから出てくる事と思います。

真実は必ず明らかになることを期待しましょう。

「暴徒が市民13人殺害」とチベット当局、武力鎮圧は否定

 中国当局は17日、チベット(Tibet)自治区ラサ(Lhasa)で起きた騒乱で、「罪のない市民」13人が暴徒によって殺害されたと発表した。一方、武力鎮圧については否定した。

 チベット自治区のジアンパ・ピンツオ(Qiangba Puncog)主席は、14日の騒乱で市民らが「焼き殺されたり刺し殺されたりした」と述べた。これまで国営通信社は騒乱による死者は10人と報じていた。

 同主席は、「暴徒らは極めて残忍だった」と述べ、無関係の人間にガソリンをかけ火をつけたり、巡回中の警官を殴り倒し刃物で肉を切り取ったりしたと語った。

 また、市内300か所以上が放火され、商店214店舗、56車両が焼けたとし、鎮圧に当たった警察官少なくとも61人が負傷、うち6人が重症だと述べた。

 デモの参加者に死者が出たかとの問いについては、治安当局の拘束を逃れようと3人が建物から飛び降りたと述べたが、3人の安否は明らかにしなかった。

 ピンツオ主席は、治安部隊は人を殺傷する武器は一切使わず、発砲もなかったとして、騒乱発生時に現地にいた外国人旅行者の目撃証言を否定。人民解放軍の出動は暴動の発生後であり、後片付けと治安維持が目的だったと説明した。(AFP)

中国側の死者数の認識が13人に更新されたようです。

ラサ住民「外出できない」=緊張状態続く-チベット暴動

 【北京17日】中国チベット自治区ラサで起きた暴動について、中国国営メディアは17日、「事態は基本的に収まった」と一斉に報じた。一方で、ラサ在住者は北京からの電話取材に「(14日の大規模暴動発生から)一度も外に出たことはない」と話しており、ラサでは依然として緊張状態が続いているもようだ。

 ラサ中心部にあるジョカン寺(大昭寺)近くの飲食店で働くチベット族の女性は、暴動の経緯を尋ねると、「知らない」と繰り返すばかり。ただ、理由は語らなかったが、「騒ぎが発生してから、ずっと外出できないままだ」と答えた。(時事通信)

17日現在のラサ市内の様子です。

銃撃、発砲は収まったものの相当緊張した状態のようです。

17日大陸株式市場:大幅続落、上海B株は6%安

 週明け17日の中国大陸株式市場でA株相場は大幅続落し、上海総合指数は前営業日終値比3.599%安の3820.048ポイントでこの日の取引を終了した。

 中国人民銀行(中央銀行)の周小川総裁がこのほど、「預金準備率、貸出・預金金利ともに引き上げの余地がある」と発言したことで、金融引き締めへの警戒が高まり、朝方から銀行株を中心に売り込まれてほぼ全面安。市場では全国人民代表大会(全人代)が閉会する18日以降に利上げが実施されるとの見方が高まっている。

 また「保険大手の人保集団がIPO(新規株式公開)によって427億-747億元の調達を計画している」との報道で、需給悪化を懸念する売りも出た。

 上海総合指数は後場に入っても下げ止まらず、一時は3820ポイントを割り込む場面もみられた。

 外貨建てのB株相場も急落。チベット自治区での大規模な騒乱を嫌気する外国人投資家の売りが加速し、上海B株指数が前営業日終値比6.057%安の270.863ポイント、深センB株指数が同5.225%安の542.693ポイントと急落して引けた。

 上海・深センを合わせた売買代金は1099.95億元で、前営業日の948.82億元より増えた。(編集担当:服部薫)(中国情報局経済ニュース)

株価にも甚大な影響があっているようですね。

ラサの騒乱の真相

西蔵(チベット)区都のラサ市では、ごく少数の人が人民大衆の生命や財産の安全に危害を加えるという事件が起こった。これに対してチベット自治区の関係部門は、チベット社会の安定、法律の尊厳、大衆の根本的な利益を守るため、法律に基づき有効な措置をとり適切に処理した。

ラサ市のデプン寺(哲蚌寺)の約300人の僧侶は3月10日午後、国の法律と寺院関連管理制度を無視してラサ市街地に入り、「殴る、壊す、奪う、焼く」の破壊活動を行った。執務警官たちに停止を求められると、恣意的に警官たちを罵って殴り、非常に狂暴に振舞った。同じ日、ほかの地方から経を勉強するためにセラ寺(色拉寺)に来ていた僧侶10名以上は、ジョカン寺(大昭寺)広場で「雪山獅子旗」を揚げ、「チベット独立」などのスローガンを叫んだ。

一部の寺院の少数の僧侶は、3月11日から13日に引き続き結集し、反動的なスローガンを叫び、秩序の維持にあたっていた警官たちの抑制を軟弱と見なし、小石を投げ、石灰をまき、お湯をかけて十数人の警官や幹部にケガを負わせた。デプン寺の3人の僧侶は、刃物で自らの体を傷つけて写真を取り、その騒乱を起こした真相を覆い隠して人の目を欺こうとした。

騒乱は3月14日には一層エスカレートした。一部の暴徒はラサの八廓街に集まり始め、チベット分裂のスローガンを叫び、「殴る、壊す、奪う、焼く」などの破壊活動を行い、公安派出所や政府機関に暴力で訴え、銀行、商店、ガソリンスタンド、市場などで略奪を行った。

初歩的なまとめによると、暴徒たちの破壊活動により、ラサ市の3つの小中学校を含めた22カ所の建築物が燃やされ、数十台のパトカーや民間人の自動車が焼き払われた。そして10人の一般市民が無残にも殺害され、12人の公安警察、武装警察官が重傷を負い、そのうち2人は危篤状態で、国と人民の財産は大きな損失を受けた。

ラサの少数の暴徒の野蛮な行為は、チベット社会各界に強烈な憤慨と厳しい非難を引き起こした。仏教協会チベット分会の洛桑巴赤来曲桑副会長は、党と政府が大量の資金を拠出して寺院を修繕し、年老いた人や体の弱い僧侶たちの生活面での困難を解決しているが、ダライ・ラマのグループは暴徒を操って違法な犯罪行為をやらせ、これでは人心を得ることはできないと指摘した。

十分な証拠で証明されているように、今回の騒乱は国外にいるダライ・ラマグループが組織的に計画し、綿密に画策して指揮したものだ。ラサのきわめて少数の人たちが行った破壊活動は、ダライ・ラマグループの吹聴する「非暴力」が、世間を欺くための仮面であることを再度証明した。

(北京週報日本語版)

中国の新聞ですね。

新華社の報道はこのような形で行われているようです。

「デプン寺の3人の僧侶は、刃物で自らの体を傷つけて写真を取り、その騒乱を起こした真相を覆い隠して人の目を欺こうとした。」というのは既に写真が出回り始めている事への先回りでしょうか。

非暴力路線に不満も=インドにも批判の矛先-亡命チベット人

 【ダラムサラ(インド北部)17日】中国チベット自治区での暴動を受け、インドの亡命チベット人社会では、チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世が唱える非暴力路線への不満が生じている。チベット独立を志向する「チベット青年議会」のリーダー、ツェワン・リグジン氏は16日、「彼(ダライ・ラマ)の姿勢には同意しない」と記者団に述べ、亡命政府指導部に路線変更を求めた。(時事通信)

亡命チベット政府内にも穏健派と過激派が存在するようですがここはどうか堪えて分裂を避けてほしい所です。

すぐ役に立つ「チベット問題Q&A」

 中国のチベット自治区で騒乱が起き、死者も出た。なぜ、いま、こんな事態になったのか。質疑応答形式でまとめてみた。

 Q チベット自治区って、どんなところ。

 A 中国南西部の高原地域にあり、中国語は「西蔵自治区」と表記する。ヒマラヤ山脈などに囲まれ、平均標高は4000メートル以上に達しているため「世界の屋根」と呼ばれている。区都はラサ。自治区の人口は約260万人(2001年の人口調査)、そのうち約9割がチベット族で、ほとんどがチベット仏教を信仰している。チベット族は中国全土では540万人といわれる。

 Q チベット仏教はどんな宗教なの。

 A 中国の南西部、北西部を中心に分布する大乗仏教の一派。仏教とチベットの民間信仰が融合してできた。活仏(生き仏)という独自のエリート制度がある。名僧を菩薩の化身として崇拝し、死後に転生すると信じられている。主流のゲルク(黄帽)派活仏の最高存在として位置づけられるのがダライ・ラマで、宗教上と政治上の最高首長とされている。

 Q チベットは中国の一部なのか。

 A チベット高原にもともといくつかの部族がいたが、7世紀前後に統一され、吐蕃と名乗った。13世紀にモンゴルに征服され、その後、元、明の影響下に置かれた。18世紀から清の支配下に入った。1911年の辛亥革命後、ダライ・ラマは中国の宗主権を否定し独立を主張したが、中華民国政府に認められなかった。現在の中国(中華人民共和国)が成立後、51年にチベットに軍を進め、チベット側と「平和解放に関する協定」を結んだ。以後チベットは中国の一部となった。

 Q ダライ・ラマはなぜインドにいるの。

 A 中国政府はチベットに社会主義制度の導入を目指し、伝統を大事にする地元勢力と対立を深めた。その後、独立の機運が高まった。59年3月、中国軍がダライ・ラマ14世を観劇に招待したが、最高指導者が連行されると感じたラサ市民が集結、動乱に発展。ダライ・ラマはインドに亡命し、ダラムサラに亡命政府を樹立した。

 Q ダライ・ラマはチベットの独立を目指しているのか。

 A 中国政府はダライ・ラマ14世を「分離主義者」と決め付け厳しく非難し続けている。それに対し、ダライ・ラマは漢族(中国人入植者)がチベット族を抑圧している状況を国際社会に訴える一方、暴力を否定し、チベット問題の平和解決を主張している。その姿勢が評価され、89年にノーベル平和賞を受賞した。ここ数年、ダライ・ラマは、交渉の目標を独立ではなく、「高度の自治」に置くようになった。

 Q 最近、なぜ、チベット族と漢族の対立が激化したのか

 A 中国政府はチベット族を押さえ込むため、高圧的な支配を続けてきた。宗教や思想信条を理由にチベット族が不当に逮捕されたり、拷問を受けたりする事件も多発している。チベットの経済は今、大量に入植してきた漢族に握られ、教育水準の低いチベット族は不利な状況に置かれている。2006年に青蔵鉄道が開通、漢族の入植が増え、観光業の発展や乱開発などで、チベット族の宗教、生存環境がますます破壊されるようになった。危機感を強めたチベット人の反漢族(中国)感情がここ数年、さらに強まったといわれている。(北京 矢板明夫)(産経ニュース)

私のようなチベットに無知な人間には非常にわかりやすいまとめ記事ですね。

これはこれで貴重にして、別でも調べてみなければ確信はできませんが。

インド、中国に「ダライ・ラマとの対話」呼びかけ 

〈ニューデリー〉 チベット人活動家らによるラサの騒乱につづき、オーストラリアやインドでも起きている北京五輪反対運動の騒乱で、インド政府がついに沈黙を破った。インド政府は中国政府に対し、この問題を解決するための対話のきっかけを作るべきだと促したのだ。

インド外務省の報道官は15日、「状況改善のために、暴力ではなく対話を通して、チベット自治区のチベットの騒乱の原因を解明し、事態を終息させるよう働きかけてもらいたい」と政府の見解を示した。

インド政府はここ数十年、チベット問題に対し慎重に対応してきた。この声明を発表したことで、インド政府は問題解決のために中国政府に対しダライ・ラマとの協議を求めた形となった。

インド政府はダライ・ラマがチベット問題解決の重要な鍵を握ると認識しているが、中国政府への配慮から、チベット問題は中国の保全と君主制の問題として今まで問題追及をしてこなかった。

外務省報道官は「チベットのラサで起きた騒乱で、罪のない人たちが亡くなっているという報道を受け、インド政府は心を痛めています」と語った。

インドの声明は、中国に対し活動家らを弾圧しないように要請する世界の声として伝えられている。

インドはここ数ヶ月、中国がアルナーチャル・プラデーシュ州のタワン周辺を中国領だと主張していた問題に不満を抱いていた。今回の発表は、中国関連の問題に対し遠慮がちだったインド政府の姿勢が変わるきっかけとなるだろう。(voice of india)

インド政府から初めての声明です。

非難とかの類ではなく対話の呼びかけですね。

亡命政府をインド国内に置いているので何が何でも中共が敵!という事ではないことがわかります。非常に抑制をした発言という印象ですね。

EU、五輪ボイコットは「適切ではない」

 欧州連合(EU)のフェレロワルトナー欧州委員(対外関係担当)の報道官は17日の記者会見で、中国政府によるチベットでの暴動鎮圧に対し「強い懸念を表明する」と述べる一方、北京五輪のボイコットは「適切な手段ではない」と述べた。

 報道官は「EUは中国政府にチベットでの人権尊重を訴えている最中だ」と指摘し、五輪ボイコットを検討することは早計だとの考えを示した。(日刊スポーツ)

日米欧と見ると、ヨーロッパが一番非難の度合いは高いのですがそのEUでもボイコットは現状考えていないようですね。

何かを感じたらクリックお願いします→Banner2_7

http://strategy.co.jp/
保守系SNS『国民の総意』

| | コメント (0)