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2008年4月29日 (火)

「チベット(アラン・ウィニントン)」(1)

チベットは僧侶の多い社会であったということはみなさんご存じかと思います。

しかしそれ以上の事をご存じの方は少ないのじゃないかと思ってます。

個人的な勉強として、ひいてはみなさんの知るよすがになればと思って過去のチベット、現在のチベットについて調べていきたいと思います。

何調べてもそうですが常に信憑性を疑いながら進めていきます。

ぼちぼち書籍も揃えている所ですが、まずは古典として、岩波新書の「チベット(上下)」(アラン・ウィニントン)をご紹介します。

イギリス共産党の機関誌の記者が書いたものですから信憑性は大いに疑うものですが、今漠然と私が持っている「チベットは古代の香りを残す牧歌的な社会であった。そこへ野蛮な中国共産党が攻め込んできて何もかも壊した」のようなイメージを一度フラットに戻したいのです。

それでは無茶をしますがまえがきを全文複写します。出版元より抗議が来たら削除しますが、おそらくそんなことはないでしょう。

 この書で私がこころみたことは、読者が、事の正邪善悪、さまざまの難問題、また進行中の新しい企図について、自らの判断を下し得るように、雲上の国の私の長期旅行の見聞を、事実のままに記述することであった。その後、ダライ・ラマを取りまく貴族集団による反乱がおこった。

 チベット問題の焦点というべきものは、シソカ・ジグメ・ドルジェ(貴族)が私にかたったことに、率直に表明されている。彼は、最高位の僧籍貴族のひとりであり、「カシャ」すなわちダライ・ラマを掌握しチベットの衛(衛蔵)と呼ばれる地域を支配する貴族団の「六人内閣」の閣員であった。「農奴がなければ、生活はどうしてつづけてゆけますか。われわれは農奴なしには、生きられません」彼が私にこう告げたのは一九五五年であった。

 彼は、簡単明瞭に、チベット国内政治の基本問題を説明したことになるのである。それは、数千の俗籍および僧籍の貴族が、約一〇〇万人の農奴に絶対権力をふるいつづけ、その国防で残酷な制度を温存すべきかいなか、ということである。

 もちろん、チベット問題の全容は、もっと複雑である。チベットは、多年、西方からの外国の侵透にまかせられ、は、とんど一世紀にわたって、帝国主義勢力は、北京とラサとのあいだの古来の結合を切断する努力をつづけていた。とくに、共産党が中国の拒導権をにぎって以来は、チベットを、もう一つの、もっと危険な、中国の脇腹深く擬せられたところの「台湾」としようとする強行策が取られたのであった。そして同時に、チベットでは変化がおこった。貴族たちは新しい噂好をもつようになり、高価な外国物資をは、しがった。だが、それらを入手しようとしても、すでにぎりぎりの生存すらもむつかしいまでに搾取しつくされた一〇〇万の奴隷と、輪はただ祈祷の輪(本文参照1訳者)をまわすことに用いられるというような原始的生産状態とからは、これ以上しぼり出すことは不可能に近かった。チべット貴族の前には、二つの道があるのみだった。-中央政権(中国)と協力して、順を追ってチベットの退嬰的封建制を改革し、産業化によって全体の生活水準をたかめることか、それとも、外国の援助をもとめてチベットを中国から引きはなし、ドルとポンドとの厄介になりながら封建性を延命し、そしてチベットをアジヤの心胸部における巨大なるロケット基地と化するか、であった。

 チベットは変化せざるを得なかったのだ。それに対して、善意からではあるが「どうしてチベット人たちを、古来ずっとそうしてきたようにさせておいては、いけないのか」という人々は、二十世紀の意味と、世界が小さくなったことと、それから、スイス製時計やドイツ製カメラや英国製布地やスコッチ・ウィスキーやラジオ・セットなどが、すでに世界の直税を変貌させてしまっているという事実全体とを、無視することになるのである。彼らはまた、発展する中国がチベット人のあらゆる層に威信を高めてきたということの意義を看過することになるのである。チべットは、もはや古いチベットでありつづけることは不可能となり、ただ問題は、外国支配による封建制か、それとも改革か、というところにあった。(今では、その問題は、存在しなくなった)。

坂乱をただ一わたり詞べただけで貴族中これを支持したものは少数だったということが明

白になる。農奴所有者は、その農奴たちを、何故にたたかうかの理由を告げきとなしに、戦闘に駆りたてる権利をもっている。この俗籍奴隷のほかに、強固な集団生活をいとなむ十五万ないし二〇万の僧侶-チベットにおけもっとも有能な戦闘力がある。それであるのに、数年の秘密裡の準備にもかかわらず、封建主義のための戦いに召集し得たのは、はんの二万にすぎず、しかもその大部分は、東部境界線地域の半職業的戦士のカムバ族-いまだかつて何ものに忠誠を誓ったこともなく、大塊模の掠奪の機会にすぐに飛びつく連中-であった。その反乱が数日にして鎮圧されたという事実が、何よりも雄弁にかたっていることは、それが「国民約」蜂起ではなく、ただあの貴族が抱いた疑問-農奴所有者はその農奴を持ちつづけるべきかという問題により巻きおこされたものだということである。またこの坂乱によって明らかになったのは、貴族の大多数が、中央政権が提示する線にそっての漸次改革に若し、つまり、上層階級と僧職者との政治的地位と生活水準とを保有し、ま宗教の自由を保証しつつ、農奴の解放と土地所有権の改革とを行う途をえらぼうとしたということである。

いかなる変革にも反対した極端に保守的な貴族たちは、いまや孤立し、亡命の途をもとめた。かえりみれは、中央政権の一九五六年の宣言によれは、改革は、貴族たちに、たがいに問題を十分に協議する時間をあたえるため、一九六二年までは提議されないだろうということだったが、今度のことの結果として、極端な保守派が反対した改革が、その計画よりもいっそう早く行われることを可能とした。

 過去においては、チベット民衆の九五パーセントー一兵奴と各種奴隷との声は、何ら聴かれることがなかった。私が「ぶしっけな」質問をした時、農奴たちほ、その境遇についてかたることを恐れ、ひじょうに当惑してしまったのであった。もちろん、ジャーナリストほ、後進社会制度でこういう事態にぶつかることは、めずらしくはない。飯乱が弾圧され、民衆が勇気を出すようになってほじめて、中央政権は、一〇〇万のチベット人が餓に坤吟し、一方、日夜神々の光栄のために何千ポンドのバタが焼かれる寺院にほ黄金と穀物とが山と清まれるという、暴虐の全容をつかむことができたのである。チベットは中世的であって、日をえぐつたり、生身の皮をはいだり、腱を切ったり、鞭打ったり、また、貴族は平民の女にほいつでも手をつける権利があったり、法に拘束されることなく強制労働を課したり、奴隷制よりもおそるべき高利を取立てたりすることなどは、いつまでも中世紀の中にある社会として、正常のことであるといい得るのであろう。しかし、これらすべての旧態を保存し、そのためには人民を外国に売りわたす貴族たちを、二十世紀の「自由戦士」呼ばわりすることは、どういうものだろうか。

 私は、最近の出来事を頭に入れながら、この本を読みなおしてみたが、書きなおしたいと思う部分は、どこにもなかった。付け加えたいことは-たとえば、封建制は人民にとってどういうものかについての詳述など-いくらかあるが、しかし今日の情況は大体において、私が見た時と変ってはおらない。ただ一つの変化は、坂乱の首領たちの土地は農奴たちにわたされ、彼らは、はじめて自己の利益のために耕作するようになったことであり、この一歩は、チベットの全農奴に対して強力な影響をあたえるであろうし、したがって改革運動を促進することになるであろう。将来に-近い将来に、かずかずの大変化がおこるであろう。しかし、それについて予言したりすることは、無益に近いことである。それで私は、とにかく、読者諸君にこの私のチベットの旅に同行してもらい、その後に起ったことについては、自らの結論をつけられるようにおねがいすることにしたい。

僧というのは人を教え諭す崇高な使命を持った人達ではないのでしょうか。

それが、「農奴がいないと生きていけない」なんて事を本当に言っていたのでしょうか。

・・・・言っていたのかもしれませんね。僧籍にある人は非道な事はしないなんていうのはあまりに無知でしょう。
私は嫌韓から政治、歴史に興味を持っていった経緯があります。

嫌韓派と擁韓派の対立点はしばしば植民地支配についてになります。

擁韓派が「朝鮮を植民地として搾取した!」と言うと

嫌韓派は「近代化させてやった恩を忘れて何を言う!」と返すのが常です。

このチベット問題と日韓併合とで共通点はないでしょうか?
近代化が遅れた地域に踏み込んでいった日本軍と共産党軍
当時の朝鮮の一進会など、併合を歓迎する向きがあったことは承知しています。
するとチベットにも、中共軍を歓迎する空気があったのでしょうか?
よく嫌韓派の言い分に「鉄道を造った。道路も造った」と言いますが、現在の青蔵鉄道と日本が朝鮮、満州に引いた鉄道とでは何が違うのでしょうか?

一国の歴史を完全に理解することなど不可能でしょう。
そこについては謙虚な気持ちで、調べた分だけ視点が変わるという気持ちで一つ一つ調べて行こうと思います。

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コメント

瀬戸山死ねカス

投稿: 人造人間 | 2009年5月30日 (土) 13時44分

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