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2007年10月 3日 (水)

渡嘉敷島(5)

信憑性は常に疑いながら更に資料の紹介をしていきます。

「ある神話の背景」には当時の古波蔵村長の長いインタビュー記事が載せられています。

「集団自決の数日前ごろは、どういうお仕事が一番大きなものでしたか?」

 私は尋ねた。

「その頃、防衛召集というものがあるにはあったんですが、私には、召集されたことにして実際には、村民の指導をせよ、というような話があったんです」

「もし、空襲があったときとか、敵が上って来た時には、どういうふうに逃げろという話は、軍との間に打ち合わせができていましたんですか?」

「いいえ、全然そういう語はありませんでした」

「敵が上陸した日は一日どういうふうにお過しでしたか」

「つまり敵は阿波連と渡嘉志久方面から上陸して釆ましたですね。それで軍の方も引上げて西山高地へ行ったんです。今の基地の下側の方です。そこに軍は動いた。我々の方、こんど、そこへ行く手前の恩納河原ですね、そこはずっと川がありましてね、山の際で狭いですから、飛行機の爆撃が来ても、まあ、安全地帯な訳です。そこが砲弾の死角に入るんで安全地帯だと思われたので、そこに陣取っておった訳です」

「恩納河原へ行くということは、誰いうともなく?」

「誰いうともなくです。そこで一日を過してその翌日の晩、大雨降りです」

 安里巡査に集められて人々は寄り集って来た。道はぜんぜんわからない。村の人でも入ることを禁じられていた保安林であった。平生から、草木も伐採してはいけないことになっていた。道案内は、村の老人がしてくれた。皆は、二日か三日分くらいの食糧をもって、滑りやすい道を歩いて行った。

軍の方がそこへ集れという所を彼らは目ざして歩いているつもりであった。住民の方は軍に近い方が安全だと思っていた。

(今となってはお互いに地点を確認することも不可能な)その土地に着いてから彼らはタコ壷を掘りかけた。道具がないから、飯盒などいろいろなもので掘った。ようやく体半分ぐらいはいる穴を掘ったところで、ここは軍陣地だというので追い出された。そして結果的には却って敵に近い自決場へ追いやられた。もっともこの詰も赤松隊側からは否定されている。隊側によれば複廓陣地に各隊を配備して壕を掘り出した時には住民はその地点に一人もいはしなかったという。

「古波蔵さんは始終、村の方の先頭に立ってお歩きになりました?」

「先頭といっても、住民と一緒にしか歩きませんでしたね。こっちが指揮しても……自然にそう固まってますから」

「玉砕場にいらしてどうなさいました?」

「初めからそこを玉砕場と決めていた訳ではないですからね」

「それは勿論そうです」

 録音器の中の私の声は慌てて訂正している。

「そこへ集結したらもう防衛隊がどんどん手榴弾を持って来るでしょう」

「配られて何のためだとお思いでした? その時もうぴーんとわかったんですか」

「それから敵に殺されるよりは、住民の方はですね、玉砕という言葉はなかったんですけど、そこで自決した方がいいというような指令が来て、こっちだけがきいたんじゃなくて住民もそうきいたし、防衛隊も手榴弾を二つ三つ配られて来て……安里巡査も現場にきてますよ」

「そこで何となく皆が敵につかまるよりは死んだ方がいい、と言い出したわけですか」

「そうなってるわけですね。追いつめられた状況、手榴弾を配られた状況」

「しかし配られても、まだきっかけがないでしょう」

「その後に敵が上って釆たわけです。迫撃砲がばんばん来る。逃げ場がないです……これだけははっきり言えますが、安里(巡査)さんは赤松さんに報告する任務を負わされているから、といって十五米ほど離れて谷底にかくれていましたよ。君も一緒にこっちへ来いと言ったら、そこへは行かない。見届けますと言って隠れていました」

「それから誰がどういうふうにして皆、死に出したのですか」

「そういう状況ですからね、お互いに笑って死にましょう、と」

「ですけど、手榴弾を抜き出したきっかけのようなものがあったんですか。たとえば、かりに誰かがいよいよ決行しょうと言ったとか」

「決行しようは、ないですね。敵が上陸したということが、まあ、いか(け)ないということですね。何にしてももう決行しようということになって」

「皆、喋ったわけじゃなくて、そういう気持になったわけですか?」

「はい、気持になってるわけです」

 それから古波蔵氏は手榴弾をぬいたが発火しなかった。住民の中には、正しい使い方を知らないものも多かったが、古波蔵氏の場合はそうではなかった。弾が不良品だったのである。そのうちに、隣も隣も発火して、死に出した。

「一発が発火すると、そのまわりに十四、玉名おるですから、破片が当って苦しんでいるのも出て来る訳です。その苦しい状況が、もうこんなに苦しいなら殺してくれ、というようなことになったんです」

「それから後、どうなさいましたか」

 私は辛い質問を続けねばならなかった。

「それからもう、そのへんにいるわけに行かないし、敵は上陸しているし、私はもう家族を置いて自分一人で陣地に馳け出したんですよ。軍隊で機関銃の経験があったもんですからね。軍には機関銃三門あったですかな。敵はもうすぐ前ですからね。機関銃貸さんかって言いましたらね、隊長に許可がなければ貸さないと。敵はすぐそこに来ているのだから貸しなさい、いや貸さない。

それから陣地に一週間おらされたですよ。妻子も私がどこへ行ったかわからないですよ」

「奥さん、心配なさったでしょうね。一週間、しかし、何のために留めおかれたんでしょうね」

「さあ、わかりませんね。警戒されておったのじゃないかと思いますね」

「その間、何をしていらっしゃったんですか」

「何もしません」

「その頃、まだ、赤松隊には壕もないでしょう?」

「壕も完全にないですね。そのへんにいました」

「それから後で!自決のあとで、又もや住民の方が、もう一度頼れるのは軍だけだ、というので、陣地内になだれ込んだそうですね」

「あれはもう、あそこを通らんと恩納河原へ行けないんですね」

「そしたらそこで陣地の方へ来ちゃいけないというわけですか」

「そこに安住の場所を求めるつもりで来てたわけじゃないですけど」

P116~121)

古波蔵村長の証言でもやはり、手榴弾は防衛召集兵が配ったものとされています。

赤松大尉が防衛召集兵に向かって「これで住民を自決させよ」と言って手榴弾を配っていたのならともかく現在までの所そういう証言はありません。

これはやはり防衛召集兵に配った手榴弾が勝手な使われ方をしてしまった可能性が高いのではないでしょうか。

もうひとつ注目すべき部分は赤字にした

そこで自決した方がいいというような指令が来て、こっちだけがきいたんじゃなくて住民もそうきいたし」

という部分です。

非常にあやふやな書き方をされています。

誰が指令を出したのか誰が指令を受けたのかが書かれていません。

「こっちだけがきいたんじゃなくて」という部分はつまり「俺だけじゃなくてみんな聞いてるんだから本当なんだ」という気持ちが裏にある言い方のように思えます。

そして非常に重要な部分にもかかわらずすぐに防衛隊や安里巡査の方に話題をスライドさせています。

この証言は曽根さんのリライトは入っておらずテープに取った録音をそのまま聞こえるままに書いているようです。安里巡査の証言に「一語聞き取れず」などという表現があることがそれを表しています。

この言葉を発した時の古波蔵元村長の胸中にはどんな思いがあったのでしょうか。

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