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2007年10月 3日 (水)

渡嘉敷島(2)

「鉄の暴風」に描かれた赤松大尉は悪意に満ちた人物として登場します。

     米軍に臆して特攻を中止する。

     住民に「軍陣地に避難せよ」と命じたのに軍の壕には「入るな」と言う。

     その次の日には「軍陣地から去り、米軍のいる渡嘉敷に行け」と言う。

     同じ日に住民に「自決せよ」と命令する。

箇条書きにしても感想は変わりません。
ひどいものですね。。。

しかしここで「本当にそうだったのだろうか」と私たちと同じ疑問を持った曾野綾子さんの記述を紹介します。

もし自決命令があったとしたら、赤松隊長が村人に一人一人「自決せよ」と言って回ったなどということはなかろうと思います。

赤松隊長から住民への意思伝達の順序はどうだったのでしょうか?

命令系統の一端を示す記述が山川泰邦さん著「秘録沖縄戦史」にあります。

三月二十七日-「住民は西山の軍陣地北方の盆地に集結せよ」との命令が赤松大尉から駐在巡査安里喜順を通じて発せられた。

安里巡査というのがキーマンのようですね。

「ある神話の背景」には当時の渡嘉敷村村長だった古波蔵惟好氏のこんな証言もあります。

「安里(巡査)さんは」と古波蔵氏は言う。

「あの人は家族もいないものですからね、軍につけば飯が食える。まあ、警察官だから当然国家に尽したい気持もあったでしょうけど。軍と民との連絡は、すべて安里さんですよ」

「安里さんを通す以外の形で、軍が直接命令するということほないんですか」

「ありません」

「じゃ、全部安里さんがなさるんですね」

「そうです」

「じゃ、安里さんから、どこへ来るんですか」

「私へ来るんです」

「安里さんはずっと陣地内にいらしたんですか」

「はい、ずっとです」

「じゃ、安里さんが一番よくご存じなんですか」

「はい。ですから、あの人は口を閉して何も言わないですね。戦後、糸満で一度会いましたけどね」

古波蔵村長が軍から直接命令を受けることはない、と言い、あらゆる命令は安里氏を通じて受け取ることになっていた、と言明する以上、私は当然、元駐在巡査の安里喜順氏を訪ねねばならなかった。赤松隊から、問題の自決命令が出されたかどうかを、最もはっきりと知っているのは安里喜順氏だということになるからである。

(P122123

当時の村長も言っている所からも安里巡査が軍との連絡役だった可能性は非常に高いと言えるでしょう。

曾野さんはこの安里さんに直接話を聞きに行かれます。

その前に曾野さんは、「鉄の暴風」の取材がどうだったかを伺わせる話を書いておられます。

おもしろいことに、赤松大尉の副官であった知念朝睦氏の場合と同じように、安塁喜順氏に対しても、地元のジャーナリズムは、昭和四十五年三月以前にほ訪ねていないことがわかったのである。問題の鍵を握る安里氏を最初に訪ねて、赤松隊が命令を出したか出さないかについて初歩的なことを訊き質したのは、例の週刊朝日の中西記者が最初であった、と安里氏は言明したのである。(123

「鉄の暴風」の出版は昭和25年です。

このような重大な命令の存在の可否について沖縄タイムスのみならず他の報道機関も20年間ほったらかしだったというのは何という事なのでしょうか。

安里氏がこの命令を受領していなければ他の渡嘉敷村の誰が受領したというのでしょうか。

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