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2007年2月 6日 (火)

捕虜虐殺命令を検証する(4)

肯定派の分析をする前に、中間派の秦郁彦さんはこの捕虜虐殺命令をどう解釈しているかに触れたいと思います。
中公新書「南京事件」の156ページよりの記述をご紹介します。


捕虜は全部殺すべし

まず114師団の説明から
○114師団は宇都宮で編成された特設師団であること。
○再招集の兵が多く平均年齢が高いこと
などが紹介されています。
東中野教授の本と違うのは、「野州兵団の軌跡」という郷土部隊史からの引用が多い点です。

ともあれ記述は114師団の南京での戦闘に移っていきます。
雨花台攻防戦での奮戦が描写されています。
中華門付近で投降した捕虜は蒋介石直系の第88師団だったようです。
投降した捕虜は食事を与えられ、戦闘詳報による「貪食」の描写があります。

その後、この捕虜たちに運命が訪れます。

場外警備を命ぜられ、監視に当たった渋谷仁太第一大隊長代理から上部に方針を問い合わせると、返事がすぐに来ない。
「郷土部隊奮戦記」(『サンケイ』栃木版 昭和三十八年)によると、問い合わせは山田連隊長から秋山旅団長へ、さらには末松師団長へとリレーされたのち、十三日午後になって処分命令が届く。
大隊の戦闘詳報はその経過を次のように記す。
「八、午後二時零分連隊長より左の命令を受く
      左記
 イ、旅団命令により捕虜は全部殺すべし
   其の方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何」

上層部にとまどいが見られた後、処刑の命令が出された事が記述されています。

疑問点が二つあります。
①東中野教授は、「第二大隊に捕虜処刑の命令が出ていなかったから第一大隊にも出ていなかったはずだ」という解釈をなされていますが、捕虜の取り扱いについて第一大隊から上部への問い合わせがあったことは書かれていません。
東中野教授はこの「郷土部隊奮戦記」を見ていないということなのでしょうか。

②「場外警備を命ぜられ」とありますが、そのような命令書は現存しているのでしょうか。
それともこの「郷土部隊奮戦記」に命令の記述があるという事なのでしょうか。

元資料を当たれないとこういう時に少しもどかしいですね。

疑問点はそのままですが読み進めていきましょう。
おそらくこの「郷土部隊奮戦記」からの引用と思われますが、捕虜の刺殺に参加した兵士の日記がここで紹介されます。

午後五時、南京外廊にて敵下士官兵六名を銃剣を以て刺殺す。
亡き戦友の敵をとった。
全身返り血を浴びて奴ののど笛辺りをつきたるや、がぶ血を吐いて死ぬ。
背中と云はず腰と云はず、刺して刺して刺しまくり、死ぬるや今度は火をつけてやる。
中に、ウナリ乍ら二、三尺はい出すのがある。生温かい血が顔にはねる。
手を洗わず夕食を全く久し振りで食べる。

この証言をしたのは誰なのかが気になりますが、そこは書かれていませんね。
証言は常に信憑性を意識しながら読み進めねばなりませんが、東中野教授の著書でも捕虜の刺殺自体は否定されていませんから、このような投降兵の処刑があったこと自体は信憑性が高いと思います。我々日本人はこの事自体に目を背けてはなりません。

東中野教授と秦教授の分析で大きく違うのは、処刑命令が架空のものであったとするかどうかです。
東中野教授は、小宅曹長の証言をもって、命令の異質さを際だたせる記述をされています。
対して秦教授の著書からは、この命令が出る前の指導部の逡巡めいたものが読みとれます。
まだまだ別の資料に目を通す必要がありますが、やはり処刑命令が架空であったという推測は自分にはできません。

そして、東中野教授の著書の記述も不明な点はありましたが秦教授の著書にも上述二点の疑問点があります。
疑問をすぐに解決するのは不可能と思いますが、なるべく多くの資料に目を通して、すりあわせるように浮き出てくる可能性の高い事象を自分なりにつかんでいくしかないと思っています。

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