« 捕虜虐殺命令を検証する(2) | トップページ | 南京関連ニュース 「30万人」に学術的根拠ない 南京事件で中国人学者 »

2007年2月 1日 (木)

捕虜虐殺命令を検証する(3)

誰が戦闘詳報を執筆したのか

この戦闘詳報は12月31日から執筆作業にかかったことが当時の中隊長の証言により明らかにされています。
実際の戦闘より19日ほど後ですね。

戦闘詳報の文責について小宅曹長はこのように証言しています。

戦闘詳報は文字通りこの戦闘に関する全ての事実を詳報するもので、副官または書記が作成し、大隊長の決済を経て連隊に報告するもので、責任者は大隊長ということになります。

執筆者は大隊副官ということですね。
ではこの戦闘詳報は副官が書いていたのか?同じく小宅曹長の証言続きます。

大隊の戦闘詳報は、一刈さんが倒れ、まともなのは渋谷(大隊副官)だけです。渋谷さんは実際の大隊の指揮を取っており作戦の責任者ですが、戦闘詳報をどうするという時間はなく、また、大根田副官は実戦の経験から考えて戦闘詳報について詳しくありません。ですから素人ばかりの大隊ではまともな戦闘詳報はなかったと思います。

辛口な評価かもしれませんが、当時の大隊というのは、大隊長一人が負傷しただけでそこまでバラバラになってしまうものでしょうか?
もちろん、大隊の「長」ですから、隊にとってとても大切な存在であった大隊長の負傷は痛恨の事です。
しかし大隊長が負傷したら、序列で隊長に次ぐ者が後を接いで指揮をするというのが組織というものです。
一人が負傷したら途端にバラバラで、戦闘詳報もデタラメになってしまうというほど人材がいなかったのでしょうか?

疑問は残るものの、検証を続けましょう。
東中野教授は以下のように仰います。

ともあれ、第一大隊は何らかの理由で投降兵を処刑した。
しかし、戦闘終了後、戦闘詳報に処刑の理由を書く段になった時、実際にはありもしなかった「捕虜は全部殺すべし」という架空の旅団命令にその理由を求めた。

さらに辛口なのですが、旅団命令が架空だったら、なぜこの戦闘詳報が採用されて軍の記録として残ってしまったのか全くわかりません。
ありもしない命令だったとすると、旅団司令部がこれを見たら
「何勝手な事書いてるんだ!責任者は出てこい!」
となるのではないでしょうか?

でっちあげにしろ何にしろ、現実的に処刑は行われました。
命令がでっちあげなら、どういう理由で処刑をしたのでしょうか?
東中野教授は小宅曹長の証言を引用しながら以下のように書いておられます。

小宅小隊長代理の証言によれば、投降兵は収容先で「騒然」としていた。
騒然となった投降兵がそのあと暴れ出して統制がきかなくなり、投降兵の釈放が困難になった。
そこでやむなく投降兵の処刑が断行されたのであろう。

東中野教授の立場にたって強引に解釈すると
「捕虜が不穏の動きをしたので処刑した。しかし戦闘詳報にはそれを書きにくいので旅団命令で処刑したことにした。」
となってしまいます。
なぜこんな、日本軍の立場が悪くなるような詳報をでっちあげてしまったのか理解できません。
大隊は悪くない、旅団命令が悪いのだ、とでも主張したかったのでしょうか?

第一大隊戦闘詳報についての東中野教授の解釈は今回で終わりになります。
まとめとして以下を列挙しておきます。

●上部組織から下部組織に流れる命令の一貫性を見ると、一つだけ違和感のある命令が旅団より出されている。
●命令が記載されている戦闘詳報については、誰が執筆したのかわからない。
●当時の大隊首脳部は負傷者がいて混乱していた。
●架空の命令を記載したと断定するには無理がありすぎる。

旧日本軍を愛する私の立場でも、この戦闘詳報を無効と判断することはできませんでした。
否定派の筆頭格である東中野教授をもってしてこの様子だと、この虐殺命令は実際にあったと判断されても仕方ないと捉えています。

次回は、虐殺肯定派がこの戦闘詳報をどう分析しているか、東中野教授の見解についてどう反論しているか、について考察したいと思います。

何かを感じたらクリックお願いします→Banner2_7

http://strategy.co.jp/
保守系SNS『国民の総意』

新しい風を求めてNET連合 
Photo_21

|

« 捕虜虐殺命令を検証する(2) | トップページ | 南京関連ニュース 「30万人」に学術的根拠ない 南京事件で中国人学者 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 捕虜虐殺命令を検証する(2) | トップページ | 南京関連ニュース 「30万人」に学術的根拠ない 南京事件で中国人学者 »