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2007年1月24日 (水)

捕虜虐殺命令

Nakajima04

前回、114師団第66連隊第一大隊の戦闘詳報の戦闘詳報について取り上げました。
投降して武装解除した捕虜を全て殺せという連隊長命令が出ていました。
この命令の背景を調べたいと思っていますが、肯定派の学者の書いた本には、命令の背景までは書かれていないようです。
手元にある資料は肯定派のものが多いので、否定派の書籍を入手するまで少々お待ち下さい。

さて、この戦闘詳報についてともう一点、16師団の師団長であった中島今朝吾中将の日記の内容についても論点としたいと存じます。
問題となる部分を抜粋します。

十二月十三日 天気晴朗
(略)
一、大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付くることとなしたるも千五千一万の群衆となれば之が武装を解除することすら出来ず唯彼等が全く戦意を失いゾロゾロついて来るから安全なるものの之が一旦騒擾せば始末に困るので部隊をトラックにて増派して監視と誘導に任じ 十三日夕はトラックの大活動を要したり乍併戦勝直後のことなれば中々実行は敏速には出来ず
斯る処置は当初より予想だにせざりし処なれば参謀部は大多忙を極めたり

普通に読めば
「捕虜など受け付けずにどんどん殺そう」
という風に読めます。

先の戦闘詳報とこの日記とを二つ取り上げて
「日本軍はこんなにひどかったんだ」
と言う方が簡単ですが、じっくり検討していきます。

日露戦争時、旧日本軍は愛媛県松山市に捕虜収容所を作っていました。
ロシア兵の捕虜は日本の手厚い捕虜の保護に驚き、国外にその評判が伝わっていきました。
日露戦争後期には、投降してくるロシアの兵士は「マツヤマ、マツヤマ」と言いながら両手を上げていたと言う記録があります。

その日本軍が、たった三十年後には捕虜と見れば虐殺しまくる集団に変質してしまったのか?
変質が事実とすればなぜ変質してしまったのか?

色々と考えるところはありますが、現状では予断にしか過ぎません。
否定派の本を1、2冊読んだところで全てわかるわけではないのですが、現状でできる精一杯の検証を行っていきたいと思います。

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コメント

ここいらへんは、日本の戦争観etc.もあったのかなぁ、と。

戦国時代も捕虜はたくさんあったはずですが、皆殺しにはしてなかったし、むしろヘッドハントされてウハウハだったりもしたわけですが……

陸軍刑法(M.41.4.10.)には
第40条「司令官其ノ尽スヘキ所ヲ尽サスシテ敵二降リ又ハ要塞ヲ敵二委シタルトキハ死刑二処ス」
第77条「敵二奔リタル者ハ死刑又ハ無期ノ懲役又ハ禁錮二処ス」
という条文があったそうで。ただし、これは「濫りに投稿するな」という規定だそうで。戦陣訓や歩兵操典・要務令などもそうですが、教条主義的な解釈と発令がされたのかなぁ、と。あの手の教本は10年後とかを想定して書かれていて「今はいろいろあって無理だけど、将来は出来るようになるはずだから、今のうちに出来るように訓練せよ」が正しい解釈らしいんですが、いつの頃からか教条主義が蔓延る様になった、と。

#ちらっとグーグル先生(笑)に戦闘詳報や命令書を聞いてみたのですが、この大隊が受領した命令書と旅団の発令した命令書には変なところもありますねぇ。編成表では114師団-127旅団-第66連隊-第1大隊なんですが、件の命令書は「貴大隊の任務は前通り」とあるので、第1大隊のみに限定されて下達されているとも読めるんですよねぇ。となると、捕虜虐殺命令は旅団命令に含まれていないって解釈もできるわけで……

投稿: delphinidae | 2007年1月25日 (木) 08時46分

デルさんお久しぶりです~
チャットは少しは復旧してますか?

相変わらず視点が鋭いですね。
日本側の戦争観をそのまま中国兵捕虜に当てはめるという解釈は結構見ますね。
なにがしかその発露が歴史書読むと拾えるでしょうから、現在それを拾い集め中です。
噂レベルじゃない本物の知識を身につけたいですね。

命令系統がおかしいと言うのはどこかで読んだような気がします。
東中野さん、秦さん、笠原さんの著書を読めば少しは見えてくるかなあと思っていますが、十年経っても見えてこないような気がして恐ろしいですね。

投稿: 代吉 | 2007年1月25日 (木) 22時34分

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