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2007年1月22日 (月)

便衣兵の処刑について(1)

Toseichi

最近思うところがありまして、大東亜戦争にまつわる日本の歴史を討論していくと、どうしても南京事件の事は避けられないという結論になりました。
もう70年も昔の事ですし、否定派肯定派とで延々と論争が続いている問題でもありますし、正確に何があったかを一個人が知るには不可能に近いと思っています。
ですから今まで、あまり本気で取り組んで調べていませんでした。

しかし、この問題は反日活動家の間での、旧日本軍の悪逆さを取り上げる際の中心軸として常に取り上げられています。
靖国と並んで、中共が反日意識を利用して実利を得るための最高の道具ともなっています。

ここについて根拠を持った話がなにがしかできないと、昔の日本を守る事はできないと考えます。
慰安婦問題と比べると、あまりにも大きい問題ですが、何とかとりつきやすい所からやっていくしかありません。
その際に、旧日本軍が惨たらしい行為をした形跡も現在感じてますが、目を背ける事のないよう自分を戒めながら資料の検討をやっていきたいと存じます。
具体的には、肯定派の代表である笠原十九司教授と、否定派の代表である東中野修道教授との研究を対比することで、随時他の学者の著作や資料集を引用しながらやっていきたいと思います、

ではまずよく言われる所の、便衣兵の問題について手始めに扱って行きます。

まず便衣兵とは何かをwikipediaからご紹介します。

便衣兵(べんいへい)は、戦争のルールを定めた「ハーグ陸戦条規」等では、本来兵士は戦闘服などを着用し、一般市民と見分けのつく服装をしなければならないとされているが、一般市民と同じ私服・民族服などを着用して敵にあたかも非武装の市民だと思わせ、不意に攻撃に入るなどの戦術をする兵士のこと。

近年、一定の交戦法規を遵守するレジスタンスは区別されるようになっている。

便衣とは、本来中国語の「長い服」を意味する。戦闘など活動的な仕事に従事する場合は、「短い服」を着用すべきところであるが、昔の中国では、肉体労働をしない者が「長い服」を着るとされるため、一般市民にまぎれての行動につき、実際に長くなくても「私服」と云う意味でこの語が使われる。 

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%BF%E8%A1%A3%E5%85%B5" より作成

この便衣兵を大量に処刑した事が南京事件の最大の争点です。
これが国際法違反であるのなら、それはそれで認めなくてはなりません。

○便衣兵はどういった経緯で潜伏したか?

笠原十九司教授は、ニューヨークタイムズ記者のF.T.ダーディンの文を引用しています。

日曜日夜、中国兵は安全区内に散らばり、大勢の兵隊が軍服を脱ぎはじめた。
民間人の服が盗まれたり、通りがかりの市民に、服を所望したりした。
また、「平服」が見つからない場合には、兵隊は軍服を脱ぎ捨てて下着だけになった。
軍服といっしょに武器も捨てられたので、通りは、小銃、手榴弾、剣、背嚢、上着、軍靴、軍帽などで埋まった。
下関門近くで放棄された軍装品はおびただしい量であった。
交通部の前から二ブロック先まで、トラック、大砲、バス、司令官の自動車、ワゴン車、機関銃、携帯武器などが積み重なり、ゴミ捨て場のようになっていた。

(「南京事件」岩波新書:P139~140)

明確な降伏とならない状態で司令官が遁走したのでこうなったのですが、混乱の極みであったことが伺えますね。

東中野教授はこのように書いています。

激戦のさなかの十二月十二日、国際委員会は三日間の休戦協定を中国軍に提案した。
しかし中国軍はこれを拒否し、通常の軍隊ではあり得ない動きに出た。
その一つは、十二月十二日二十時、南京防衛軍司令官の唐生智が、日本軍に降伏の意思表示をすることなく、ただ一つ開いていた北門の狭い通路から逃亡したことである。
二つ目は、唐生智の逃亡後、中国兵が軍服を脱ぎ、市民のための中立地帯である安全地帯に逃げ込んだことである。

(南京事件「証拠写真」を検証する:P42)

二人の書く内容で共通しているのは
・司令官の逃亡により兵が混乱、潰走の末便衣兵となった。
共通していない事は
・国際委員会の休戦協定の申し出について、笠原教授は国民党側が持ちかけたが落城時の混乱により実現せず、と表現されていますが、東中野教授は、国民党軍が拒否した、と書いておられます。

国際委員会についてわからない方はこちらを参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%AE%89%E5%85%A8%E5%8C%BA%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A

ともあれ南京は落城しました。
しかし何万人もの便衣兵が市内に潜伏しています。
日本軍は次はどういう行動に出たのでしょうか。

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