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2006年12月27日 (水)

吉田茂の演説

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北朝鮮の核実験以来、日本の軍備について考えることが多くなりました。

mixiのコミュニティなどで盛んに議論、討論がなされておりますので、よく参考にしたり、たまに議論に参加させてもらったりもします。

中川昭一政調会長の核武装議論の是非を問う問題では、左右両派の考えが聞けて大変興味深かったものです。
左翼的な考えの方には
「武器を持つことは戦争抑止には繋がらない」
という考えが多いようですのでこれについて考えてみました。

武器を持たない事はそれ自体悪いことではなく、むしろ理想的なことです。
全世界が、地球市民的な考えを持って、自国の利を追わずに地球全体のためにはこれこれこのように、などと考えてくれるのなら大賛成です。
しかし現実の世界を見てみましょう。
昔ほど剥きだしではなくなっただけのことで、現実には国家の利害、国家の欲の登場する場面がそこかしこに見られます。
と言いますか国家同士の関係に欲得、損得勘定抜きのものは存在してません。

強いものが勝つのが国際関係です。
善悪ではなく現実です。
これからも世界はそれで動いていくのです。
くり返しますが善悪や理想ではなく、現実で考えていくべきです。

そう考えていくと、武器は絶対必要なわけです。
技術立国日本の玄関先の鍵が開いていて、誰でも入れる状態であったら、欲にあふれた周辺国家はそれを狙うでしょうか?狙わないでしょうか?

鍵と言いますか戸締まりと言いますか、そういう防備が甘いからこそ拉致問題は起きました。
日本領土の竹島の簒奪も起きました。
中共によるガス田の資源簒奪も起きようとしています。

それを良しとしない考え方から防衛庁が省に格上げされたのだと思っていますし、朝鮮総連の特別扱いも少なくなってきているのだと思っていますし、教育基本法に「我が国と郷土を愛する態度を養う」という一文が登場したのだと思っています。

国家の防備も同じ土俵で語れるものだと思っております。
周辺諸国と話し合えばわかるなんて通じると思っている人は現実を考えていません。
国家の欲が全面に出てきている相手と誠意を持って話して通じるものですか。

今日本が行うことは、「下手に手を出すと痛い目に遭うぞ」と周辺諸国に思わせるほどの防備をすることです。

こう言うことを言うと、「戦前の軍国主義に戻るのではないか」と心配される方が多いようです。
歴史を勉強すべきです。
米英と利害で衝突したことは確かです。
それは善悪で計る事ではありません。
日本は必死に生存競争を勝ち抜こうとしたのです。
戦争に負けると現在の日本のように、アメリカの言いなりになってしまうことは戦前の方はわかっていたのです。

そして、米英のようにアジアの民を収奪の対象としか見ないような感性は日本の指導者は持っていなかったのです。
歴史を勉強すべきです。
日本が朝鮮半島や台湾、東南アジアで行った、思いやりのある施策を勉強すべきです。
よほど反日意識に凝り固まっていない限り、日本がいかにお人好し国家だったかがわかるはずです。

くり返します。
今日本が行うことは、「下手に手を出すと痛い目に遭うぞ」と周辺諸国に思わせるほどの防備をすることです。

最後に吉田茂元首相が昭和32年に防衛大学の卒業生に語った言葉を紹介させていただきます。
現実を骨に染みるほど知っている政治家の言葉を胸に刻みたいと思います。

君達は自衛隊在職中

決して国民から感謝されたり

歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない

きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない

御苦労だと思う

しかし

自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは

外国から攻撃されて国家存亡の時とか災害派遣の時とか

国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ

言葉を換えれば

君達が日陰者である時のほうが

国民や日本は幸せなのだ

どうか、耐えてもらいたい

ネット規制に繋がる総務省の新ガイドラインに抗議の声を!
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/51256020.html



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2006年12月26日 (火)

理解できないヒュンダイ社のCM

このブログでは主に歴史を扱っていますので現在の事を扱うのは、加盟している「新風連」がらみのことくらいに留めております。
その代わりに他のブログがやらない、くどい歴史の探究をやっていますので今回のテーマはどうかと思うのですが、あまりに衝撃なので取り挙げずにおれません。

既に知っている方もいらっしゃると思いますが、このCMをご覧になって下さい。

http://www.hyundai.co.nz/video_tucson.html
(中央やや右の「barbeque」をクリック願います)

動物虐待ビデオではございません。
れっきとした韓国の車メーカーのCMです。
冗談ではないのです。
車の『宣伝』として使われているものなのです。

一体このCMで何が言いたいというのでしょうか?
猫は美味だとでも言いたいのでしょうか?
初めて見たときは、本当に何が何やらわかりませんでしたので、これを題材にしているブログや掲示板など、見られる限り見てみました。

沢山の方の意見を伺った結果
「ちょっと道をそれるだけで、毎日がこんなに素敵なワイルドアウトドアライフ」
という事を主張したいCMなのかなと思っております。
しかし彼らの立場に立って考えてやろうとしても、こんなものとても理解できません。

竹島の日を契機に韓国に興味を持って10か月になります。
調べてきてわかったのが、韓国という国のあまりにも理解しにくい姿でした。

サッカーで韓国が勝つよりも日本が負ける方が喜ばれること
日本にミサイルを撃ち込む子どもの絵が地下鉄構内に貼られて、誰も違和感を感じないこと
障害者差別が当然で、パラリンピックが放映中止になってしまうこと
柔道、剣道、茶道、果ては皇室まで日本の伝統を「韓国起源だ!」と主張して憚らないこと
ありもしなかった強制連行
従軍慰安婦のでっち上げ
日本領土である竹島の実効支配、漁民銃殺
まだまだあります。

数々の現実を学んでみたつもりですがそれでもこのCMのおぞましさは理解できません。
これを許す土壌がある国に産まれなくてよかった。
こんな国に産まれて自分自身が気づかないうちに歪まなくてよかった。

強引ですが、日本に産まれてきたことに感謝ということでまとめさせていただきます。
怒りの乱文失礼いたしました。

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2006年12月20日 (水)

吉見義明「従軍慰安婦」分析(17)

開戦と強姦事件の発生

1941年12月の開戦以降、南方戦線での強姦事件の発生が公文書から窺われます。

富集団において、敵前逃亡112,強姦3、略奪3の事例あり。(中略)
比島方面でも相当強姦(14名)あり、下士官の婦人傷害事例もありたり。

(1942.2.12 陸軍省課長会報より)

法務局長:25軍の独立速射砲第一連隊の現役大尉がクアラルンプールにおいてマレー人の妻女を強姦、その時計5~6個を略奪し、更らにジョホールの第三王女をだまし、写真機を搾取し、強姦、掠奪、詐取の犯罪を犯かせるものあり。

兵務局長:25軍はクアラルンプールに来る迄は兎角の評判ありしも、この事件を契機にして爾后面目を一新せり。

法務局長:比島方面においても強姦多かりしが、厳重なる取締をなしたる結果、犯罪激減せり。

兵務局長:比島は他の地域に比し比較的多かった。
しかし支那事変に比すれば少ないと言える。
(1942.5.2 陸軍省局長会報より)


大山法務局長:南方軍の犯罪件数237件。
大体において支那事変に比し少し。
14軍には強姦多し。
女が日本人向きなるを以ってなり。

(1942.5.9 陸軍省局長会報より)


大山法務局長:南方の犯罪610件。
強姦罪多し。支那よりの転用部隊に多し。
慰安設備不十分、監視監督不十分に起因す。
拘禁所には何処も200名宛収容しあるが、何れも三、四名の法務官が処理しあり。

(1942.8.12 陸軍省局長会報より)

強姦、略奪が一件もない戦争など過去にはありませんでした。
軍紀が厳しいと言われた日本軍も例外ではありません。
上のような事態を受けて、日本軍は現実的な打開策として慰安所を検討し、設置しました。
現地の軍司令官にとっては、上層部が開戦を決行した以上は、少しでも強姦、略奪の少ないやり方を探るのが当然であったことでしょう。
上海派遣軍の岡部、岡村両参謀はそのような考えで慰安所の設置を着想したと思います。
あくまで戦争を是とするのなら、という前提でですが、現地の強姦、略奪を少しでも減らす為に他にどのような選択肢が考えられたのでしょうか?

慰安所制度は日本だけのものではありません。
イギリス軍は北アフリカで慰安所を設置していましたし、ドイツは日本以上の規模で組織的に慰安所を運用していました。
ベトナム戦争時のフランス軍は北アフリカの女性を「移動式慰安所」で売春させていました。
同じくベトナム戦争時の米軍キャンプの中には「レクレーション・センター」と言う名の売春施設がありました。
韓国軍はベトナム戦争時に現地女性を多数強姦し、現在五千人から三万人もの混血児がいると言われています。

慰安所制度を設けなかったソビエト軍は、ベルリン侵攻を目前にした時「ゲルマン女性は諸君の戦利品だ!」と宣伝し、軍がレイプを奨励する始末でした。

強姦を憲兵によって厳しく罰していた日本軍とて、逆に罪が重いことが強姦後の証拠隠滅、すなわち殺人に繋がったという面もあります。

戦争を始めてしまった以上、強姦、略奪は必然の結果として起こってしまうのです。

何度かくり返して申し上げてきたことですが、性を売ってくれる女性に仕事をしてもらうことは、強姦事件減少のために大変効果的だったのです。
旧日本軍が中国で、朝鮮で、東南アジアで混血児を残していますか?
「全員殺したんだから混血児がいないんだ」などと荒唐無稽な主張をする人もいますがそんなのは相手にしちゃいけません。
なぜ混血児がいないか?
慰安婦の皆さんが日本兵のために性の防波堤になってくだすったおかげではないですか!
私たちは元慰安婦の人達にお金を与えることをよしとしません。
声高に名誉回復を訴えることもよしとしません。
日本政府に謝罪させることもよしとしません。
ただ静かに感謝をしたいと思っています。


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2006年12月16日 (土)

慰安婦関連ニュース 安秉直教授の勇気

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http://www.dailyseop.com/section/article_view.aspx?at_id=52265

エキサイト翻訳の訳文を以下に掲載します。
翻訳ゆえの読みづらい部分は筆者が修正しております。
      

安秉直 『慰安婦は自発的だった』 妄言が波紋 

MBC ニューススポット出演 『強制動員証拠はない…土地収奪もなかった』 

2006-12-06 20:23:00     百万石  記者   

最近 「4・19 学生運動, 5・16 革命」 波紋を投げかけた教科書フォーラムの件の余波がまださめやらぬうちに、ニューライト財団理事長の安秉直ソウル大名誉教授が 6日 MBC 「ニューススポット」に出演して『日帝時代の慰安婦強制動員には証拠はないし土地収奪もなかった』と明らかにした。
波紋が予想される。

安教授は、我が国が日本の過去の歴史についての清算を要求していることに関連し, 過去よりこれからの韓日関係をどうすればいいのかが重要だと言って 『過去の人々についても、日々の生活を豊かにしてくれる条件を日帝が提出したとだとすれば、それまで拒否する理由はないと思う』と明らかにした。

『慰安婦営業者半数が朝鮮人, 当時何が故に強制動員したのか』

安教授はこの日インタビューで慰安婦があったということを否定する人はいないと言いながらも 『問題は強制動員だ。 強制動員したという一部慰安婦経験者の証言はあるが韓・日双方に客観的な資料は一つもない』と言って慰安婦動員の 「自発性」に重さを置いた。

記録がないと言って強制性に対する評価を留保することは間違いではないかと言う司会者の質問に安教授は 『軍隊慰安婦や一般慰安婦の生活は悲惨きわまりない。そこから目をそらしてはならない。
韓国にも私娼窟という慰安婦たちが多い。
そんなことを無くすためには、どうしてそんな現象が発生するのかに対して研究しなければならない。
無条件強制によってそんな現象が起きると思うことができない、という信じられない発言をした。

彼は引き続き慰安婦営業者の中で半分が韓国人だと言って 『(当時) 朝鮮人が何の権力で強制に動員したのか』と主張したりした。

安教授は過去、日本軍が強制動員した可能性があるから韓国挺対協とともに調査をしたと明らかにしながら 『3年活動してからやめた理由は、この人々(挺対協)は慰安婦の本質を把握して今日の惨めな慰安婦現象を防止するためではなくて日本とけんかするためにやっていることがわかったからだ』と主張した。

そんな形の反日運動が今日私たちに何の意味があるのかという疑問があって挺対協との活動をやめたということだった。

安教授はまた日帝時代の土地収奪問題と係わって 『大っぴらな土地収奪はないようだ。 当時国有地は李氏朝鮮時代王室の物なのにこれを朝鮮総督府所有とした。 掠奪と言えば掠奪だがそれは掠奪というより李氏朝鮮王室の所有を国家の所有にしたということだ』と、当時朝鮮総督府を国家と同一視する発言をしたりした。

『過去に何の過ちがあるかを根掘り葉掘り詮索してはいけない』

安教授はまた韓日両国が善隣のパートナーになろうとすれば日本の謝罪がなければならないのでは?と言う質問に 『それでは問題解決にならない。これからどんな関係を持てば我々の歴史的課題がうまく行くのかを考えなければならない』と答えた。

日本が過去を歪曲していても、未来のために無理して有効関係を築かねばならないというのは飛躍ではないかと言う司会者の反問に安教授は 『そうではない。 過去の人々が日々の生活を向上させる条件を侵略者がしてくれたとすれば、それまで拒否する理由はないと思う』と答えた。

彼は引き続き 『現在私の生活に何が役に立つのか、現在私たちの貧しい隣りのような状況を無くすために韓日関係をどうしなければならない悩むのが正当な国家を導く責任ある人々の姿勢』と強調して韓国政府を批判したりした。

安教授は 『過去に何が間違ったか、何がよかったのかを根掘り葉掘り詮索しても現実的に全然役に立たない。 まるでノ・ムヒョン政権がする形と同じで逆効果だ』と言って 『私たちが協力すれば国家がうまく立ち行く事ができるのに竹島や靖国や、解決される見込みがないことを言い続けて数年間始終けんかばかりする。 このようなことをするなと言っているのだ』と明らかにした。

私は日韓翻訳チャットで韓国人と話をすることが多いのですが、ほぼ100%の韓国人は歴史について「日本が全て悪かった」というものの言い方をします。
かといってその頃の事実関係を熟知しているわけではなく政府の主張に沿った事を浅い知識で声高に主張しているに過ぎません。
歴史について一個人である私が言うのは僭越なのでしょうが主張したいことはあります。

大東亜戦争は歴史の必然でした。
富める国と貧しい国が地域ごとにくっきりと色分けされてしまった16~19世紀の世界はすなわち弱肉強食の世界でした。
過去エントリーの記事を今読み返してみても、欧米によるアジア・アフリカ世界への収奪は過酷なものだったことが窺われます。
日本がそれに対してアジア、アフリカの解放戦争を行ったとまでは言いません。
日本は日本の理由で米英蘭に宣戦布告しました。
そしてその結果として、世界の地図が大きく塗り変わり、少なくとも表立っては過酷な植民地支配は不可能という時代になりました。
人類が持続可能な発展を継続していけるように、大きな見えざる力が世界にはたらいたのだと思っています。

然るに今の中国、韓国、北朝鮮は全世界的な視野を持たず、政治的利害から日本を非難し続けます。
一般の国民もそれを信じて、日本の永遠の謝罪を要求し続けます。
日本の反体制勢力の中にもそういう主張をする人は根強くいます。
そのような利己的な主張は決して有利には働かないことは現在の韓国のノ・ムヒョン政権が証明してくれていますが、日本はこれにどう対応していけばいいのかを考えていかねばなりません。

決して今までの日本の外交政策を踏襲してはいけないと思っていますが、この安教授のように真実に目覚めてくれる韓国人が増えてくれれば日韓の協力、友好は大変容易になることでしょう。

しかし過去において、やはりソウル大学の李栄薫教授が安教授と同じ発言をした結果、このようになった事例があります。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/09/06/20040906000060.html

韓国の中では例え真摯な研究の成果であっても、日本を擁護する記事を書いてはならないのです。
日本に関して真実を語ってはいけないのが今の韓国社会なのです。

安教授のこれからの安否を気遣うと共に、韓国のこの現状が変わるのはどうしたらよいかを考えるたびに絶望的な気持ちになります。



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2006年12月15日 (金)

吉見義明「従軍慰安婦」分析(16)

Ⅱ 東南アジア・太平洋地域への拡大
1 南方地域の状況
開戦直前の計画

1940年~41年にインドネシア(蘭領東インド)のバタビア(ジャカルタ)で行われた第二次日蘭会商に参加した深田益男軍医は以下のように書いています。

現在土人は愛撫し、誠実をもって我が方に信頼感を抱かしむる様言動に留意する要有り。
多く回教徒にて一夫多妻の点もあるも、貞操感も強し。
かりそめにも強姦等を行い日本軍紀に不審を抱くことの無きよう、厳重注意の要あり。
一方、原住民は生活難のため売淫する者多し。
しかし、バンドンその他性病多きをもって、村長に割り当て、厳重なる検黴の下に慰安所を設くる要あり。

村長に割り当てというのがちょっと。。。と思います。
深田軍医にすれば、身元確実な女性を選別するためには村長への割り当てがよいということなのでしょうが、村長はそんな事したくはなかったでしょう。

吉見教授もここは、売春婦でない女性を慰安婦にする可能性を指摘しています。

ではインドネシアでは実際にこのような募集形態だったのか調べてみましょう。
秦教授の著書では、インドネシア人慰安婦の聞き取りを検証するという形を取っておられます。
インドネシアで名乗りを上げた慰安婦は二万二千人ということです。
まあこれは、「慰安婦だったと言えば日本から大金をもらえるぞ!」という事が実際ありましたので現実にこんなにいたはずはありません。
だって日本軍の兵士の数は約一万人でしたから。

さて秦教授の検証から、募集に関する部分を抜き出してみましょう。
スカブミという所で慰安婦にさせられた(なった)女性の証言です。

・マルディエムさんの証言
幼なじみの歌手レンチに「ボルネオへ行って一緒に芝居をしよう」と誘われた。
引率者は現地に在住する日本人市長。

・ウミクスンさんの証言
ある夜、五、六人の日本兵が自宅に侵入。拉致された。

・マリアムさんの証言
学校から自宅に帰ってきたところで四人の日本兵が押し入り、クラモト部隊に連行された。

・テティさんの証言
二頭の馬車に乗った軍人が三人の兵隊を連れて連行された。

・ウィダニィンシさんの証言
六人の日本兵が「看護婦として働かないか」と誘い連行された。

マルディエムさんの証言より、村長ではなく「日本人の市長」が斡旋していた内容がありますね。
私はインドネシアの村長さんに頼むのだと思っていました。
他の証言を見てみましょう。
マリアムさんの証言にある「クラモト部隊」とはスカブミに駐屯した独立歩兵第百五十大隊だそうです。
元倉本部隊の松浦豪平さんは
「部隊は軍紀厳正、兵舎内は整然としていた。あり得ない話だ」
と証言されています。
谷口大尉は
「倉本部隊には馬はいない。
それにこのような悪質な事件が続発していたら、戦犯にされただろうし、その前に現地人の兵補が黙ってはいまい。」

と証言されています。

次はバンドンでの慰安婦の証言

・スハナさんの証言
数人の兵隊に拉致された。
娘を取り戻そうとした父が軍人に斬り殺された。

・アミナさんの証言
ボゴールへの外出中に憲兵隊本部へ連行された。
三日間留置され、四日目にミシマ大尉の家に引き取られた。
ミシマ大尉の留守中にカツムラ大尉など数人が強姦した。
六ヶ月後ミシマの家からニチメン工場に働きに行き、父親も職を紹介してもらう。
1943年八月、転勤するミシマは「戦争が終わったら帰ってアミナと結婚する」と父に約束した。
戦後は三回結婚し、いずれも離婚した。

村長がどうのこうのどころじゃない乱暴狼藉ぶりですが秦教授はこう考察しています。

「八千代」「田毎」「喜仙」など五カ所(うち二カ所は朝鮮人経営と将校クラブ、他は中国人経営)に慰安所があったが、希望者は殺到しても性病持ちが多かったというからやや乱暴なリクルートをした可能性もあろう。
それにしても、中国人経営者のために日本兵が拉致行為をやるのは不自然で「連行」したのはその手先だったかと思われる。

アミナさんの証言に登場するミシマ大尉についての考察も述べておられます。

全期間ボゴールに勤務した遠山貞憲軍曹の証言です。

ボゴール分隊から歩いて二十分ぐらいのところに中国人が経営する慰安所があり、日本兵が利用していた。
アミナは十人くらいの現地人慰安婦のなかにいたのかもしれない。
古参の憲兵下士官は隊に近い一画に独立家屋の宿舎をもらい、下男下女を雇っていた。
三島曹長もそうだったが、十三才くらいの少女を可愛がり、学校へ入れてやりたいと言っていたのを記憶するが、43年春に満州へ転勤した。
彼女が三島のチンタだったとすれば、勝村分隊長や小林軍医と面識があった可能性はある。
しかし彼女が申し立てているような乱暴をしたとは考えられない。
勝村大尉は連合軍スパイを摘発、処刑した件で、戦犯として死刑になった。

この心優しい三島曹長と、仲間の強姦を容認していたようにも読めるミシマ大尉との差は何なのでしょうか。
確実なことは、加害者のものにせよ被害者のものにせよ「証言は警戒が必要」ということです。

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2006年12月13日 (水)

吉見義明「従軍慰安婦」分析(15)

「慰安」の提供

殺伐とした戦場で将兵の気風を緩和する目的での慰安所の重要性を述べておられます。
英米の軍のように交代制も取れず、軍の中に音楽・映画・図書・スポーツなどの施設もなく、軍隊内では上官のいじめ、制裁もあっていたであろう兵の方々の労苦は大変なものだったはずです。
軍隊内での楽しみって、酒と女性くらいしかなかったのでしょうね。
環境に順応し過ぎて殺戮が大好きみたいな人もきっといたんじゃないかなとかも考えます。

慰安所が一般の兵にとってどのような存在だったか実感がつかめる日記が紹介されています。

戦地での私たちが、欣喜雀躍、股間を押さえて女性のもとにすっ飛んだのは、何んといっても長い作戦から帰った直後の外出だったでしょう。
彼女たちの屯する房に着くと、行列して順番を待つ兵士たちは、生死の境を通ってきた異常なまでの緊張感から開放されたい一心で、Mボタンを外し、鼠色になった越中をちらつかせて、まだかまだかと気忙しく待っていたものです。
・・・・・・最高に燃えてこれほどの充実感はほかになかったように思いました。

(衣第3040部隊記念事業実行委員会編『黄土』)

哀しい日記ですね。
貧乏な国が戦争をすると、余裕のない国が戦争をするとこういうことになってしまうのでしょうね。

スパイ防止

スパイ防止の観点からも慰安所は重要だったことが述べられています。
将兵が敵国の女性娼芸妓と接すると、ついぽろっと漏らしてしまうこともあるでしょう。
まあ、単純に強姦防止、性病防止だけではなかったということですね。

しかしこの章の最後に書かれている吉見教授の結論は独断に満ちていますね。

軍慰安所設置の目的であったはずの強姦防止・性病防止は何ら解決しないまま、軍慰安所は増え続け、慰安婦の数も増えていった。
そして、アジア太平洋戦争に突入するとともに、あらたな拡大がはかられていくのである。

強姦防止→都合いいところだけ引用しておいて何を言うか
性病防止→断定するには根拠が不十分すぎる

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2006年12月 9日 (土)

吉見義明「従軍慰安婦」分析(14)

最近mixiという掲示板で慰安婦問題について討論をしておりました。
自分と違う立脚点からの反論はとても興味深く勉強になります。
とはいえ、こちらの更新が滞ってしまい申し訳ありませんでした。

さて再開いたします。

強姦防止について吉見教授は感情的な反論や部分的な引用が多く、素人でも資料を精密に読めば簡単に反論可能だということがわかりました。次参りましょう。

性病問題

松村軍医の発言が引用されています。

性病予防等のため兵100人につき一名の割合で慰安隊を輸入す。
1400~1600名。治療は博愛病院にて行いその費用は楼主これを負担す。
検黴は週二回。

この発想に基づき導入された慰安婦制度は実際性病の予防に効果があったのでしょうか。

吉見教授は慰安婦制度が導入された後も性病専門病院が必要なほど深刻な状況だったと書いておられます。

「第十四師団花柳病予防方針(1932年十月八日)」に以下の記述がございます。

熱と愛とを以て精神教育と衛生講話とを実施し可及的感染の機会をつくらしめざること。
やむを得ず接客婦と接せんとする場合は必ず検黴成績合格者を選ばしむること。
不注意に依り感染したものは処罰するを可。

細々と兵士に性病予防の手法を指示していた形跡は資料を見ていると広範に確認できます。

また、女性に対しても管理を厳格に行おうとしていた形跡もございます。

当地遊廓楼主並びに仲居芸娼妓全員を集合せしめ領事館警察署長及憲兵分隊長立会の下に一時間半にわたり(性病の予防について)細部の実行方法に就て講話。
支那娼芸妓は有毒者他に比し常に多数にして且治療の要求に応ぜず。
兵員の立寄を禁止して支那側との接触を防止。

(満州事変陸軍衛生史)

軍の中で軍医を筆頭とする衛生管理者が四苦八苦していた事は間違いないのでしょう。

他にも資料はたくさんございます。
旧日本軍に有利な結果を集めようと思えば集まるでしょうし、反対の立場からの結果を集める事も簡単だと思います。

各国との罹患率の比較を取ろうともしたのですが、統計の取り方が国ごとに違うことですのであまり意味がありません。

私の得た結論を申し上げますと、もし日本軍が慰安婦制度を導入しなかったらどうなったかというデータが取れない以上、性病予防の観点で効果のあるなしを話しても限界があるということです。

慰安婦制度を取らずに、徹底して兵に性欲を我慢させる施策をとっていた方がよかったかもしれません。米軍はそちらの考えの方が主流となっていますしね。
また慰安婦制度がなかったら、今頃中国各地に日本人との混血の子どもがあふれかえっていたのかもしれません。ベトナム-韓国の混血児問題のようになっているのかもしれません。
しかし私は当時の岡村、岡部両参謀の行った施策を批判できない。
状況を見てこれが最善と判断して行った日本人としての大先輩を批判などできない。
余人がそれを言うことは自由である。

性病問題についてはこれが私の限界です。

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