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2006年12月15日 (金)

吉見義明「従軍慰安婦」分析(16)

Ⅱ 東南アジア・太平洋地域への拡大
1 南方地域の状況
開戦直前の計画

1940年~41年にインドネシア(蘭領東インド)のバタビア(ジャカルタ)で行われた第二次日蘭会商に参加した深田益男軍医は以下のように書いています。

現在土人は愛撫し、誠実をもって我が方に信頼感を抱かしむる様言動に留意する要有り。
多く回教徒にて一夫多妻の点もあるも、貞操感も強し。
かりそめにも強姦等を行い日本軍紀に不審を抱くことの無きよう、厳重注意の要あり。
一方、原住民は生活難のため売淫する者多し。
しかし、バンドンその他性病多きをもって、村長に割り当て、厳重なる検黴の下に慰安所を設くる要あり。

村長に割り当てというのがちょっと。。。と思います。
深田軍医にすれば、身元確実な女性を選別するためには村長への割り当てがよいということなのでしょうが、村長はそんな事したくはなかったでしょう。

吉見教授もここは、売春婦でない女性を慰安婦にする可能性を指摘しています。

ではインドネシアでは実際にこのような募集形態だったのか調べてみましょう。
秦教授の著書では、インドネシア人慰安婦の聞き取りを検証するという形を取っておられます。
インドネシアで名乗りを上げた慰安婦は二万二千人ということです。
まあこれは、「慰安婦だったと言えば日本から大金をもらえるぞ!」という事が実際ありましたので現実にこんなにいたはずはありません。
だって日本軍の兵士の数は約一万人でしたから。

さて秦教授の検証から、募集に関する部分を抜き出してみましょう。
スカブミという所で慰安婦にさせられた(なった)女性の証言です。

・マルディエムさんの証言
幼なじみの歌手レンチに「ボルネオへ行って一緒に芝居をしよう」と誘われた。
引率者は現地に在住する日本人市長。

・ウミクスンさんの証言
ある夜、五、六人の日本兵が自宅に侵入。拉致された。

・マリアムさんの証言
学校から自宅に帰ってきたところで四人の日本兵が押し入り、クラモト部隊に連行された。

・テティさんの証言
二頭の馬車に乗った軍人が三人の兵隊を連れて連行された。

・ウィダニィンシさんの証言
六人の日本兵が「看護婦として働かないか」と誘い連行された。

マルディエムさんの証言より、村長ではなく「日本人の市長」が斡旋していた内容がありますね。
私はインドネシアの村長さんに頼むのだと思っていました。
他の証言を見てみましょう。
マリアムさんの証言にある「クラモト部隊」とはスカブミに駐屯した独立歩兵第百五十大隊だそうです。
元倉本部隊の松浦豪平さんは
「部隊は軍紀厳正、兵舎内は整然としていた。あり得ない話だ」
と証言されています。
谷口大尉は
「倉本部隊には馬はいない。
それにこのような悪質な事件が続発していたら、戦犯にされただろうし、その前に現地人の兵補が黙ってはいまい。」

と証言されています。

次はバンドンでの慰安婦の証言

・スハナさんの証言
数人の兵隊に拉致された。
娘を取り戻そうとした父が軍人に斬り殺された。

・アミナさんの証言
ボゴールへの外出中に憲兵隊本部へ連行された。
三日間留置され、四日目にミシマ大尉の家に引き取られた。
ミシマ大尉の留守中にカツムラ大尉など数人が強姦した。
六ヶ月後ミシマの家からニチメン工場に働きに行き、父親も職を紹介してもらう。
1943年八月、転勤するミシマは「戦争が終わったら帰ってアミナと結婚する」と父に約束した。
戦後は三回結婚し、いずれも離婚した。

村長がどうのこうのどころじゃない乱暴狼藉ぶりですが秦教授はこう考察しています。

「八千代」「田毎」「喜仙」など五カ所(うち二カ所は朝鮮人経営と将校クラブ、他は中国人経営)に慰安所があったが、希望者は殺到しても性病持ちが多かったというからやや乱暴なリクルートをした可能性もあろう。
それにしても、中国人経営者のために日本兵が拉致行為をやるのは不自然で「連行」したのはその手先だったかと思われる。

アミナさんの証言に登場するミシマ大尉についての考察も述べておられます。

全期間ボゴールに勤務した遠山貞憲軍曹の証言です。

ボゴール分隊から歩いて二十分ぐらいのところに中国人が経営する慰安所があり、日本兵が利用していた。
アミナは十人くらいの現地人慰安婦のなかにいたのかもしれない。
古参の憲兵下士官は隊に近い一画に独立家屋の宿舎をもらい、下男下女を雇っていた。
三島曹長もそうだったが、十三才くらいの少女を可愛がり、学校へ入れてやりたいと言っていたのを記憶するが、43年春に満州へ転勤した。
彼女が三島のチンタだったとすれば、勝村分隊長や小林軍医と面識があった可能性はある。
しかし彼女が申し立てているような乱暴をしたとは考えられない。
勝村大尉は連合軍スパイを摘発、処刑した件で、戦犯として死刑になった。

この心優しい三島曹長と、仲間の強姦を容認していたようにも読めるミシマ大尉との差は何なのでしょうか。
確実なことは、加害者のものにせよ被害者のものにせよ「証言は警戒が必要」ということです。

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