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2006年11月25日 (土)

吉見義明「従軍慰安婦」分析(13)

早尾乕雄軍医の「戦場に於ける特殊現象と其対策」からの都合のよい引用、まだ続きます。

上海や南京などには慰安所以外にその道は開けてるから慰安所の不足した地方へ或いは前線へと送り出されるのであったがそれでも地方的には強姦の数は相当にあり亦前線にも是を多く見る。

までご紹介しました。続きです。

(中略①)
内地では到底許されぬ事が敵の女だから自由になるという考が非常に働いているために、支那娘を見たら憑かれたように引きつけられていく。
従って検挙された者こそ不幸なんで、蔭にはどれ位あるか解らぬと思う。
(中略②)
しかのみならず部隊長は兵の元気を作るに却って必要とし、見て見ぬ振りに過ごしたのさえあった位である。
(中略③)
敵国婦女子の身体まで汚すとは、誠に文明人の為すべき行為とは考えられない。
東洋の礼節の国を誇る国民として慚愧にたえぬ事である。

さて以上を読んでどう感じられるか

「日本兵は中国の女性を人間扱いせずに見つけ次第強姦していたんだな」

という感じで読むのが妥当な読み方でしょう。

では中略①を復活させましょう。
是は尚女の供給の不足していることに因るは勿論のことだがやはり留学生が西洋女に興味持つと同様で支那女という所に好奇心が湧くと共に内地では到底許される事が・・・・

ほらごらんなさい。
慰安所の効果を認める文章がありました。
慰安所が強姦減少に効果があったことは当時の軍人はほぼ全て認めていたのです。
認めたくないが故に有利な所だけ著書に引っ張ってくるこの姑息な引用の仕方こそ軽蔑します。

中略②
憲兵の活躍のなかった頃で而も支那兵により荒らされず殆ど抵抗もなく日本兵の通過にまかせた市町村あたりは支那人も逃げずに多く居たから相当に被害があったという。
しかのみならず部隊長は・・・・

日本軍の憲兵が現地の治安維持に活躍していたことを認めたくないのでしょうね。
どんな国の軍隊でも聖人君子ばかりで構成されているはずがないので、良くない事をする輩はどこにでもいたのです。
現在だってそうじゃないですか。
刑法があるから強姦や窃盗はなくなるなんて事は絶対ないわけでそれを取り締まる警察がいるから治安が保たれている訳です。しかし絶対にゼロにはならないですよ。

中略③
然るが故に支那土民は日本兵を見ると娘は何処かへ隠されてしまう。
上海に残留した日本人は支那人、西洋人の前に日本の軍人は非常に礼節を重んずるから支那婦人を冒すなんて事は断じてないと予め吹聴したものだった。
然るに事実は是に相違したので支那良民の日本兵を怖るること甚だしく若い女は悉く隠されて影もない様になったと言われる。
然るに一方南京の避難民区からは糊口の道を得るために昔の夜鷹の如くに若き支那婦人が枕になるもの下敷になるものだけを携えて昼夜兵の宿舎に現れる様になったので風儀を紊された事もあった。
こうなると憲兵の方も強姦か和姦かの区別を考えねばならなくなりもし其の場所に敷物代用品があったり支那婦人が日本貨幣を持っていた事実が認めれれたら和姦として取り扱って見る様になり強姦の数は実際よりは少なくなったと言う。
敵国人という感の働くために無償にて行い要求された時に是を追い払ったりする為に自治委員会からの告訴に会って恥をかく例も少なくないのである。
勝利者なるが故に金銀財宝の略奪は言うに及ばず敵国婦女の身体まで汚すとは誠に・・・・

中国女性からの売春の持ちかけも多くあったことを示していますね。
慰安婦は本人の意思に反して集められた、と主張する側からは認めたくない事象の一つです。
もちろん好きでやった売春ではありませんでしょう。
しかし言ってみれば、日本軍が攻めてこようが何をしようが、どちらでも営まれていた商行為です。
興味深いこととして、強姦と和姦とが混在していて憲兵が困っていた様子が伺い知れます。
これは日本軍が、徹底されたかはともかくとして、秩序を保とうと努力していた証拠なのではないでしょうか?

それにしても全体的に日本兵は、中国女性に対して性的にエロ親父化していたことはわかりますね。
早生軍医は「留学生が西洋女に興味持つと同様で」と書いてくれていますがそんな憧れみたいないいもんじゃないでしょう。
多くの日本兵は中国女性のスリムな肢体を見てデヘデヘ状態だったのでありましょう。
私も、資料の中でチャイナドレスの中国女性の写真を見て目が釘付けになりましたもん。
これを抑えきれなかった所は日本軍の失敗と言っていいかと思います。
その背後には確かに
「あまりうるさく言っては士気に影響する」
という下世話な配慮もあったでしょう。
根底に流れるアジアの民への差別意識もあったのでしょう。
それはそれとして目を背けてはならないと考えます。
そして早尾軍医もまた、自国軍の醜い状態から目を背けてはならないと、当事者側から必死に内部を諫めていたのだと思っています。
早尾軍医の筋の通った頑固さに感謝したいと思います。

そしてこれは吉見教授の一人だけ高みに立った断罪とは性質が違うことを念押ししておきたいと思います。

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2006年11月23日 (木)

吉見義明「従軍慰安婦」分析(12)

さて
4.どのような結果をもたらしたか の続きです。

慰安婦制度とは、特定の女性を犠牲にするという性暴力公認のシステムであり、女性の人権を踏みにじるものである。

当時合法であった公娼制度を「人権侵害だ」と非難して旧日本軍を貶めるのなら、暗黙の了解で売春が行われていて、全国津々浦々に存在するソープランドもきっと人権侵害でしょう。
戦争中の事は過去のことですから取り返しがつかない所もありますが、こちらは現在形ですよ。
吉見教授、現代の女性は救わなくていいのですか?
売春を根絶やしにしないといけないのでしょう?
研究室で書物に埋もれているだけでは現状変わらないと思いますよ。
これを糾弾しなくてよいのですか?

一方で性暴力を公認しておきながら、他方で強姦を防止すると言うことは不可能であり、当然ながら、強姦事件を防止する本質的解決に結びつくはずもなかった。

旧日本軍の考えた事は、少なくとも吉見さんの考えている売春撲滅よりは現実的ですよ。
売春が全くゼロだった社会など人類の歴史にあったのですか?
ないならないでいいのですが、実現するための方策は何かあるのですか?
ああ、共産主義革命ですね。失礼いたしました。
所で「性暴力を公認した」とはどの文書に基づいてのねじ曲げですか?

さてその後、陸軍法の強姦罪の罰則が緩い事についての糾弾があります。
これについては同意します。

さてその後、早尾乕雄軍医の「戦場に於ける特殊現象と其対策」という論文からの引用となっています。

出征者に対して性欲を長く抑制せしめることは、自然に支那婦人に対して暴行することとなろうと兵站は気をきかせ、中支にも早速に慰安所を開設した。
其の主要なる目的は、性の満足により将兵の気分を和らげ、皇軍の威厳を傷つける強姦を防ぐのにあった。
・・・・・それでも地方的には強姦の数は相当にあり、亦善戦にも是を多く見る。

これを読んでどう感じられますか?素直な感性の方ならこう思うのではないでしょうか?

「日本軍は本来必要な慰安所を開設したばかりに、慰安婦となった女性を辛い目に遭わせたのか。
しかし本来の目的であった強姦防止には何の役にも立っていなかったんだ。
日本軍のやったことは愚かだな。」

この・・・・・の部分は吉見教授が著書中での引用を省いた部分です。
次にこの省略された部分に書かれていたことを引用してみます。

慰安所の急設は確かに其の目的の一部は達せられた。
然しあの多数の将兵に対して慰安所の女の数は問題にならぬ。
上海や南京などには慰安所以外にその道は開けてるから慰安所の不足した地方へ或いは前線へと送り出されるのであったがそれでも地方的には強姦の数は相当にあり亦前線にも是を多く見る。

繋げて読んでみるとどう思われますか?私には

「中国婦人への強姦防止の目的のためには慰安所を作る着想はよかったが、数が足りないために特に地方では効果がなかった。」

という風に読めますがいかがでしょうか?

市井の方が吉見教授の著書を読んだとしても、ここまで資料の照らし合わせなんか普通しやしません。
誰かが引用の不備を指摘したとしても
「別に【資料集】を出版してるから意図的に省いたわけではない。字数の関係だ」
と反論されればそれで終わりです。上手な印象操作ですね。

しかしこれは吉見だけの問題ではありません。
ご存じの方も多いと思いますが左翼勢力、特に朝日新聞は常にこうした細かい技術を使ってきます。
読んでいただいてる方々に朝日新聞への注意を喚起するとともに、拙ブログでそのような印象操作を決してしないことを戒めていきたいと思います。
みなさまこれからもよろしくご愛読の程お願いいたします。

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2006年11月22日 (水)

吉見義明「従軍慰安婦」分析(11)

吉見教授は資料を大変精査して書いておられることはわかりますが、資料を読み解く時の解釈が偽善に満ちているということが段々判明してきました。

これからはそういう前提で読み進めていいかと思います。
慰安所が必要悪だという前提もなしに、潔癖感だけで日本軍を断罪されてもそれは的はずれと言うものです。

華北でも大量設置がはじまる

日本人の強姦事件が多発したために、華北でも慰安所が大量設置されたことが、
岡部直三郎参謀(この時は北支方面参謀長、中将)の通牒として紹介されています。

強姦が増えた→軍紀引き締め、慰安所設置

というのが日本軍の考えたことですが、
「強姦はけしからん」
「慰安所もけしからん」
と、吉見教授はどちらもお認めにならないご様子。
現実を知らないというのは気楽なものです。
岡部中将がにやにや笑いながら慰安所設置を指示したとでも言うつもりでしょうか。

華南の状況

1938年以降、中国南部でも慰安所が設置されていった経緯が述べられています。

中国東北での慰安婦移送計画

1941年、関特演のために日本軍が中国東北部(満州)に集結します。
吉見教授は、原資料は発見されていないが朝鮮総督府が深く関わっていたはずだとしています。
関与は明らかなのはもうわかってますからもう黙ってほしい。

3.陸軍中央と国家の関与をめぐって

軍の関与は明らかであると、あの手この手で述べています。
わかったから黙ってください。

4.どのような結果をもたらしたか

ここは深く見ていきたい部分です。詳しく読んでみましょう。
岡村寧次大将資料、戦場回想編にはこうあります。

現在の各兵団は、殆どみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。
第六師団の如きは、慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。


この岡村寧次さん(この当時は中将)は、11/18のエントリーでこういう日誌を残している人です。

海軍にならい長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。

南京が陥落しても終わらない戦で、軍紀が緩んできたのでしょう。
軍紀はともかく、何度もいいますがこの人は強姦がゼロにならないと納得しないのです!
と言いますかおそらく強姦がゼロになっても、何か他の粗捜しをして、日本は悪い事をしたんだという話にするのでしょう。

こんな学問的ではない著書でもって日本軍が悪逆非道の人間集団になってしまってはたまりません。

明日もこの項を分析していきます。

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2006年11月21日 (火)

吉見義明「従軍慰安婦」分析(10)

・1938年以降の華中

1938年~1939年に中国各地で確認された慰安所、慰安婦の数です。

上海・・・陸軍慰安府300名
抗州・・・慰安所四軒、慰安婦36名
九江・・・慰安所24軒、慰安婦250人(朝鮮人143名、日本人107名)
蕪湖・・・慰安所六軒、慰安婦70人(朝鮮人22名、日本人48名)
武漢・・・慰安所20軒、芸娼妓酌婦など395名(全てが慰安婦ではない)
南昌・・・慰安所11軒、慰安婦111人(朝鮮人100名、日本人11名)
鎮江・・・慰安所8軒
揚州、丹陽・・・慰安所各1軒


なかなか大した数です。
このように出来た慰安所を兵士はどのように利用していたのでしょうか。
独立攻城重砲兵第二大隊の大隊長である万波蔀さんはこう書き記しています。

慰安設備は兵站の経営するもの及び軍直部隊の経営するものに二カ所ありて定日に幹部引率の許に概ね一隊約一時間の配当なり。
衛生上の検査のため軍医をして予め立会点検せしめつつあり。


組織的に運用されていたことがわかる文章ですね。
さてここから吉見教授の粗捜しが始まります。
同じ大隊の第二中隊「陣中日誌」がその材料です。

二月一日
娯楽所の日割決定次第示す
行くときは必ず外出証を携行のこと
予防薬星秘膏を支給するも絶対的に非さるを以て中止すべし

二月二十四日

慰安所の使用時間変更せらる
 下士官   自午前十時  至午前十一時
 兵      次回は自午後三時 至午後四時


中隊の人数は約200名です、そのうちの三割くらいの兵が慰安所に行ったとして約50~60名。その慰安所に20人の慰安婦がいたとしたら一人二十分くらいでしょうか。
ものすごいものです。

よくわからないのが次の日誌についての吉見教授の論評です。

三月三日
城内にて強姦、略奪各々一件あり、厳かに注意すべし


ここについて吉見教授は

このように兵士の行動をしばっても、慰安所を巡る問題がしばしば生じたことを、同大隊第二中隊「陣中日誌」が示している。
(略)軍慰安所開設後も依然として強姦事件が発生していた。


と書いておられます。
この方は強姦がゼロにならないと納得しないのでしょうか?
慰安所があったおかげで緩和されたものなど絶対認めないのでしょうね。
強姦略奪がゼロだなんて、そんな無菌室みたいな戦場など、どこに存在すると言うのでしょうか。

礼儀正しく言うのも疲れますので心の声を出しますね。

ふざけるな!吉見義明!



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2006年11月20日 (月)

吉見義明「従軍慰安婦」分析(9)

2 大量設置の時代へ

・南京事件前夜
上海以後の慰安所について書かれています。
私以前のエントリーで、軍直営の慰安所の存在について「灰色である」と書いていますが、岡部大佐の日記やら色々調べてますと、最初は直営のようですね。
ここで山崎正男少佐の日記の引用です。

先行せる寺田中佐は憲兵を指導して湖州に娯楽機関を設置す。
最初四名なりしも本日より七名になりしと。
未だ恐怖心ありし為、集まりも悪く「サービス」も不良なる由なるも、生命の安全なること、金銭を必ず支払うこと、酷使せざることが普及徹底すれば、逐次希望者も集まり来るべく、憲兵は百人位集まるべしと漏せり。
別に告知を出したる訳でもなく、入口に標識を為したるにもあらざるに、兵は何処からか伝え聞きて大繁盛を呈し、ややともすれば酷使に陥り注意しありしとのことなり。
先行し来れる寺田中佐は素より自ら実験済みなるも、本日到着せる大阪少佐、仙頭大尉この話を聞き耐らなくなったと見えて、憲兵隊長と早速出掛けて行く。
約一時間半にて帰り来る。
概ね満足の呈なり。


後半部分は女性には受け入れにくい文章だろうと思います。
しかし敢えて言いますと、男性であれば納得の行く内容が書かれていると思います。
しかしあまり男女でどうこうと言うのはよくないのでしょうが、吉見教授のこの引用についての論評が私にはちょっと理解できません。

占領直後ということもあって、地元の中国人女性が犠牲にされたのであろう。

犠牲という表現の仕方が既に感情的です。
日本軍が募集して、その募集に応じた女性にお金を渡して仕事をしてもらったのです。
それがなぜ犠牲という言葉になるのか理解できません。

自分におきかえて考えてみると、終戦直後に日本人女性がGHQ相手の慰安所で働いたことなど考えると、女性の事を思って平静でいられなくなる気分も、感情としてわかるのです。

しかしこの方は学者です。
学者が感情でけしからんなどと言うのはちょっと違うのではないでしょうか。
歴史学者というものは資料を積み重ねて、それによって妥当性があるかどうかで過去の評価を行うものではないのでしょうか。
この世に初めて売春業を作ったのは日本軍だと言いたいのでしょうか?

軍の参謀が憲兵を指揮して慰安婦を集めさせ、軍慰安所を設置しているのだ。
集められた慰安婦が恐怖を抱いていたのは当然であり、「酷使に陥り注意しありし」との記述には慄然たる思いにとらわれる。


「酷使しないようにいたわれよ」という意味の文章をなぜこんな風にねじ曲げて書けるのか理解に苦しみます。
察するに吉見教授はプライベートでこういう雰囲気の業種のお店には行かれたことがないのでしょう。
それはもちろん高潔な、尊敬すべきことだと思います。
では吉見教授が松井大将の立場だったとしたら自分がそういう店には行かないから兵にも行かせないという事でしょうか?

昨日のエントリーの内容の繰り返しになりますがそれでは強姦問題、性病問題をどう解決するつもりなのでしょうか?
倫理的な不潔感から高みに立って日本軍を断罪するの簡単ですが現実的とは思いません。
殺人が常識の場所にいる兵士にこのような倫理は通用しないと見るのが現実的思考です。

ここについてみなさんの意見を聞いてみたいです。
私の性道徳がおかしいのか吉見教授の非現実的な考えがおかしいのか。
私自身性をお金で買ったことがあるので私が判断するには不適かもしれないのです。



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2006年11月19日 (日)

吉見義明「従軍慰安婦」分析(8)

さて上海で初めて設置された慰安所、他の地域はどうだったのでしょうか。
吉見教授は、中国東北部での初の設置を1933年4月とされています。

平泉(ピンチュワン)に駐留する混成第14旅団のために設置された「防疫・衛生施設」がそれである。
朝鮮人芸妓・酌婦35名、日本人芸妓・酌婦3名であり、陸軍軍医が性病検査を担当している。


その後、慰安所設立の必要性をこう述べておられます。


軍は「軍務防疫上の必要」、つまり将兵に性病が広まらないようにするため、性病予防に関して神経を尖らせていた。
新しく導入した朝鮮人慰安婦の一部に性病感染者がいたことから旅団司令部は、兵士に対して、慰安婦の健康診断票を確認すること、サックと性病予防軟膏「星秘膏」を使用すること、慰安所から帰ったときに性器を消毒水で洗うことを厳しく注意している。
また、担当区域の「芸娼妓酌婦健康診断実施要領」をつくり、一般の遊郭をふくむ芸娼妓酌婦の性病検査を毎週一回以上実施するとした。


軍がかなり積極的に衛生管理をしようとしていたことが伺われます。

吉見教授は、清水局長の失言を挙げて、
「これが軍関与の証拠である。これも軍が関与している。」
のように論を進めていらっしゃるのですが、自分にはどれもこれも、軍が慰安所を礼儀正しく取り扱っていた証拠として読めます。
業者に重搾取されないように配慮して、業者が自主的にやるべき雇用者の健康診断も軍医を動員して行って、そこまでやる事で現地女性に強姦被害が出ないように配慮したのです。

性病予防も重要な目的の一つでしたが、これはなかなか苦労しておられます。

慰安所がかえって性病蔓延の温床となった、と言う方もいらっしゃいますが、来歴の様々なたくさんの慰安婦を無菌状態にしてから慰安所に来て貰うことは無理があったでしょうし、また、ここまでやっても強姦事件はゼロにはならなかったのですから、兵士達からの病気の持ち込みもあったことでしょう。

巷には色んな理由をつけて、軍が慰安所を置いたこと自体を批判する日本人がいます。
そういう方々に私が問いたいのは、じゃあ貴方はどうすればよかったと思うのか?ということです。
その方達がよく言う代案としては
・定期的に内地に帰還させるようにするシステムを作る。
・妻子を戦地に同行させてもいいようなシステムを作る。
などの事を仰います。

最初の案については、現在米国などがそれを行っていますが、では米軍基地付近で強姦事件はゼロですか?
ゼロではなくて減ったと仰るのなら、日本軍が慰安所を設置したことによる強姦の減少も認めねばなりませんよ。
そして任務中でも、例えばオーストラリア駐留の米兵は休暇中にそういう娼婦のいる場所へ行列を作りますがこれはいいのですか?
民営だからいいのですか?オーストラリアの国営だったら許せないのですか?

そもそも完全に民営だったら性病管理をどうするのですか?当時の医学レベルじゃ、業者任せにしていては恐ろしい勢いで性病は広まることでしょう。

後の案はどうでしょうね。危険な戦地に家族で移動するなどは近代的な軍ではされたことがないように思います。それをやっている国があれば教えてほしいくらいです。

現実をわかって、人間のどうしようもない部分もわかって、それでも戦争を遂行せねばならない責任の上に立ったこの慰安所についての施策を私は全肯定します。

吉見教授が中山忠直さんという医者のお言葉を紹介されています。
吉見教授はこれを、慰安婦が従軍していたという証拠として紹介したいようですが、私にはこれは、体を売って軍人さん達を守ってくれた慰安婦達への賛歌に感じられます。

満州に来て、ことに承徳に来て、しみじみと娘子軍は実は文字の遊戯ではなく、実際に軍隊の一部であり、事実上の「軍」であることがわかった。
錦州の司令官から「女は必需品だから飛行機に乗せるが」と云われた言葉を真に知ったのである。
日本軍が進軍すると、幹部が第一に心配する事は、娘子軍の輸入である。
日本軍が支那婦人を冒さぬのは、娘子軍あればこそで、彼らは決して単なる淫売ではない!


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新風連に参加しました

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この度、私が以前から愛読させていただいている極右評論の主旨に賛同するブログ連盟「新風連」に参加させていただく事となりました。

歴史を正確に知ってこその愛国と思っております。
歴史が苦手な人に、妥当性のある歴史を紹介していくためにこれからも精進していこうと思っています。

瀬戸弘幸先生、誠にありがとうございます。

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2006年11月18日 (土)

吉見義明「従軍慰安婦」分析(7)

序文の分析がほぼ終わりました。
日本を断罪しようとしている部分は根拠が大変薄弱で、私には受け入れがたいものでしたが、序文だけを分析しておしまいというのもいかがかと思います。
本文の分析をしていきましょう。

Ⅰ 設置の経過と実態
1 確認される最初の軍慰安所
1932年に上海で初めて設置された経緯が描かれています。
当時の中国政府が公娼廃止に取り組んでいた関係上、名称が「料理店酌婦制度」というものになっていたということです。
現在の浴室従業員のような感覚だろうと思います。
そして上海での料理店のうち何軒かは日本海軍専用ということになっていたのが最初の慰安所のようですが、どうもこちらについては残った文書が少ないのか、細かいことがわかりません。
陸軍についての方が詳しい資料がありますのでそちらを追って行きましょう。

当時の上海派遣軍の岡部直三郎大佐が発案者だったようですね。
日本陸軍最高の戦略家、と呼ばれているそうです。
http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/human/ao/naosabu.html

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岡部大佐は日記にこう記されています。

この頃、兵が女捜しに方々をうろつき、いかがわしき話を聞くこと多し。
積極的に施設をなすを可と認め、兵の性問題解決策に関し種々配慮し、その実現に着手する。

この事について吉見教授は
どうしてこういう発想になるのか理解できない、と断罪をされています。

吉見教授は触れていませんが、同時期に参謀副長だった岡村寧次大佐は、この後をこう書いておられます。

海軍にならい長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。

岡部大佐は、常識のある、現実を理解した対応をされたと思います。
旧ソ連のように、占領地での強姦が美徳とされた軍隊とは、日本軍は違っていたのです。

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2006年11月15日 (水)

吉見義明「従軍慰安婦」分析(6)

さて「強制労働ニ関スル条約(第29号)」とのからみについて考えていきましょう。

条約はこちらです。
http://www.ilo.org/public/japanese/region/asro/tokyo/standards/c029.htm

この条約について吉見教授はどう考えているか?
阿部浩己という学者の書いた論を引用して、「日本はこの条約に違反していた」と述べておられます。
阿部浩己さんは、現在神奈川大学の教授のようですね。
http://www.law.kanagawa-u.ac.jp/member/008.html

その阿部教授の論をどのように吉見教授は引用しているのか

従軍慰安婦制度は、あきらかに、女性を強制労働に付し、しかも「相当な報酬も、労災補償も、健康面でのサービスも」提供せずにそうするものであり、条約違反と言わざるをえないという。
阿部によれば、関係者の処罰を行わないこともまた、国際法違反であった。

強制労働などありません。

秦教授の論を借りましょう。

初期における慰安婦問題の最大争点は、韓国挺対協と挺身隊研究会による第一次報告書の監修者だった鄭鎮星女史が指摘するように、彼女たちの「動員」に際し、官憲による組織的な強制連行があったか否かであった。
しかし、彼女たちの利益を代弁する前記の報告書では、証言者十九人のうち「軍人、軍属による暴力的な連行」は四人にすぎず、その四人もウラのとれない本人だけの申立てなので、私がいずれも失格と判定したことは、すでに第六章で論じたからくり返さない。
この点については、吉見教授も同じ見解らしく、九七年六月刊行の編著書のなかで「官憲による奴隷狩りのような連行が朝鮮・台湾であったことは、確認されていない。また女子挺身勤労令による慰安婦の動員はなかったと思われる」が、「中国や東南アジア、南太平洋地域の占領地であったことは、はっきりしている」と書いている。

このあと「あったことははっきりしている」と書いている中国や東南アジアの件について秦教授が反論をされてますが、要するに吉見教授は、一部の兵士の強姦事件をさも日本国家の犯罪のように言っているのでしょう。
そんなもの現在の日本にだって米兵による日本人の強姦事件として存在してます。
しかしそれによって日本が求めるのは犯人の厳正な処罰です。
アメリカ国防省に謝罪と賠償を求めるという話にはなりませんので念のため。

相当どころか非常に高額な報酬を得ていた証拠はたくさん出てきます。
文玉珠さんが日本政府を相手取った裁判では、今の貨幣価値で九千万円の貯金をしていたそうです。
依存症の独り言さんより引用しましょう。
http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2005/06/post_b28a.html

労災補償はちょっと難しいですが、現代そういう職業についている女性が、充実した労災補償ができる環境で働いているとはちょっと思えません。

健康面でのサービスもあった証拠はたくさん出てきます。
軍は何より性病感染を恐れていましたから慰安所では必ず軍医の定期検診が行われていました。
興味のある方は「麻生軍医」で検索してみてください。

・強制連行はない
・高額な収入
・定期的な軍医の健康診断

学者さんの主張されている事なので真剣に考えたのですが、いったいどこが条約違反なのか頭をひねります。

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2006年11月14日 (火)

吉見義明「従軍慰安婦」分析(5)

さて「政府は何を認めていないか」のうち

3.お詫びは述べているものの、補償などを言っていない。

という吉見教授の見解について分析してみましょう。
P8にはこう述べておられます。

ことは国際法に違反し、戦争犯罪を犯したのではないかという問題のはずである。
徹底した真相の究明、罪の承認と謝罪、賠償、再発防止措置などが当然言及されるべきであり、それが欠けている。

さて分析してみましょう。
①慰安婦問題は国際法違反であったか?

吉見教授はP164で、この四つの条約について述べておられます。
A 醜業を行わしむる為の婦女売買取締に関する国際協定
B 醜業を行わしむる為の婦女売買取締に関する国際条約
C 婦人及児童の売買禁止に関する国際条約
D 成年婦女子の売買の禁止に関する国際条約

日本はこのうち、A、B、Cの三つの条約に加入していました。
Bを例に取ってこう述べておられます。

未成年の女子の場合は、本人の承諾のあるなしに関わらず、売春に従事させることを全面的に禁止し、成年であっても、詐欺や強制的手段が介在していれば刑事罰に問われることを定めているのである。

他の条約とのからみを考えると、この当時の未成年というのは21歳未満となっていたようです。
しかし台湾、朝鮮、満州は適用除外地域となっていました。
日本本土では未成年は全面的に売春禁止、朝鮮や台湾では未成年でも本人の承諾があれば合法、となっていたようです。
吉見教授はここで、「船などで移送した場合は、船上は日本本土に該当するので違反である」という論旨を述べておられますが、あまりに細かい部分でこだわる意味を見いだせません。
併合下であった朝鮮と日本にそういった区別をつけることの善悪は置いておきますが、船上かそうでないかが問題の本質ではないでしょう。

そうなると次は、「詐欺や強制的手段が介在して」いたかどうかですね。
何度も何度も述べていますが、日本という国家が、朝鮮や台湾などの女性を、詐欺や強制的手段で連行したことはありません。

次回は日本が1932年に批准した
「強制労働ニ関スル条約(第29号)」を見ての違反があったのかどうかを考えていきます。

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2006年11月13日 (月)

慰安婦関連ニュース 下村副長官発言

Shimomura

更新をしていない間にも慰安婦関連のニュースというのは何某か動きがあります。
今日は安倍内閣の下村官房副長官の十月二十五日の発言について考えたいと思います。

河野談話は再調査必要 下村副長官が言及

下村博文官房副長官は25日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で講演し、慰安婦への日本軍関与の強制性を認めた平成5年の「河野談話」について、「もう少し事実関係をよく研究し、時間をかけて、客観的に科学的な知識を収集し考えるべきだ」と述べ、将来的には見直すことも必要だとの認識を示した。

 下村氏は、歴史認識に関する安倍晋三首相の国会答弁について「首相は村山談話、河野談話について百パーセントそのまま、というわけでない」と指摘。その上で、河野談話について「個人的には検討課題としてあっていいと思う」と述べた。

(10/25 20:46)

SankeiWebより
http://www.sankei.co.jp/news/061025/sei005.htm

河野談話については今まで何度か述べてきましたが、強制性についての言及はあいまいな形にしています。

慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

「官憲が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。」という部分は日韓の政府間の政治的取引によってなされたことが当時の石原官房副長官の言葉から明らかになっています。
精密に読んでいくと「これに加担したこともあった」の「これ」の部分が「慰安婦の募集」なのか「甘言、強圧による等、本人たちの意志に反して集められた事例」なのかをわかりにくくしています。
この一文は、韓国側には「事例」に直接加担した、日本側には「募集」に直接加担した、と読ませようと言う意図があって作られたものなのです。よく言われる玉虫色ですね。
官憲が直接強制連行に加担したなど現実にはなかったことです。(インドネシアで一部の暴走はありました)
そのことを当時の日韓双方の政府首脳は知りすぎるほど知っていました。
知った上で「これ以上は決して外交問題にしない」と言う韓国側の甘言に乗って日本側が譲歩をしてしまったことが以後現在まで禍根となって残っています。

韓国は「外交問題にしない」と言った約束を守りましたでしょうか?
2005年に韓国の盧武鉉大統領はこう演説しています。

私は拉致問題による日本国民の憤怒を十分に理解します。
同様に日本も立場を替えて考えてみなければなりません。
日帝36年間、強制徴用から従軍慰安婦問題に至るまで、数千、数万倍の苦痛を受けた我々国民の憤怒を理解しなければならないのです。
過去の真実を究明してから心から謝罪し、賠償することがあれば賠償し、そして和解しなければなりません。

ありもしなかった慰安婦強制連行が、厳然と実在する拉致問題と相殺されて
「日本は謝罪する方が先だろう」などと言うのは何なのでしょう。
これで外交問題になっていないなどと言うつもりなのでしょうか?

今日本人に必要なのは怒る事です。
事実無根の事まで謝罪する必要はないのです。
大声で虚偽の被害を申し立てる人間に対しては、それ以上の大声で
「その被害は嘘だ!」と言わねばならないのです。
困難な道のりですが河野談話は修正されねばならないのです。
その修正への道のりへの第一歩を安倍内閣は踏み出してくれました。
この下村発言はまさにその、貴重な第一歩なのです。

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2006年11月12日 (日)

吉見義明「従軍慰安婦」分析(4)

資料が入手できなかったためだいぶ間隔が空きました。申し訳有りません。

さて吉見教授の著書分析を続けましょう。

「政府は何を認めていないか」
1.運用の主体が業者であったかのような書き方は問題である。
2.アジアの他の地域の慰安婦についての言及が足りない。
3.お詫びは述べているものの、補償などを言っていない。
のうちで、2.についてから再開します。

慰安婦は朝鮮半島出身者のみで占められていた訳ではありませんから、このような談話を出すのであるなら他の地域の慰安婦について言及するのが当然でしょう。
河野談話では

戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

としています。
吉見教授は他のアジア地域についてどう捉えているのでしょうか。
P81~84でその辺りを詳しく述べておられます。

 公文書によって確認されているかぎりでは、日本人・朝鮮人・台湾人・中国人・フィリピン人・インドネシア人・ベトナム人・ビルマ人・オランダ人が、慰安婦として徴集されていた。
オーストラリア人看護婦が慰安婦となるよう強要されたことも、オーストラリアの公文書によって明らかになっている。だが、旧軍人の回想録によれば、インド人やシンガポール・マレーの華人も慰安婦にされたことがわかっているから、これ以外に、日本軍が占領した各地域で、地元の女性たちが、慰安婦にされたと思われる。
 慰安婦の民族別の比率はどうだったか。直接、それを示す資料はない。多少なりとも傾向をうかがうことができるのは性病関係の統計である。
 大本営陸軍部研究班「支那事変に於ける軍紀風紀の見地より観察せる性病に就いて」は、1940年までに性病にかかった中国出征陸軍軍人一万四七五五人であるとし、性病感染時の「相手女」として次のような数字をあげている。すなわち、「朝鮮人」四四〇三人(51.8%)、「中国人」三〇五〇人(36.0%)、「日本人」二四一八人(12.2%)である。
(中略)
だが、次のような統計もある。南京にいた敦賀第15師団軍医部の「衛生業務詳報」
によれば、四三年二月に軍医部が検診した慰安婦は一回当たり、平均で次のようになる。
・南京 日本237 朝鮮13 中国139 
・蕪湖 日本32   朝鮮26  中国40 
・鎮江 日本3    朝鮮 0   中国36
・金壇 日本0    朝鮮 5  中国6 
・巣県 日本0    朝鮮4   中国30 
・漂水 日本0    朝鮮0   中国10 (漂水は原文はさんずいに栗)
南京では日本人慰安婦が集中しているが、それを除くと、中国人一二二名・朝鮮人三五名・日本人三五名となり、中国人の比率が圧倒的なのである。また、日本人慰安婦は大きな都市中心であり、朝鮮人慰安婦は日本人慰安婦がいない金壇・巣県にも連れていかれている。中国人慰安婦しかいない漂水のような町もあった。こうしてみると、中国人慰安婦の数は、考えられている以上に多いのかもしれない。


この件に対して、秦郁彦さんはどのような事を書いているのか見てみましょう。
「慰安婦の民族別構成は?」という項に詳しく述べておられます。
さすがに書写がキツイのでスキャナ画像を貼らせていただきます。
Photo_19
「慰安婦と戦場の性 P407より」
このような資料検討の末、推定ですが概数を、日本人4-現地人3-朝鮮人2-その他1としています。ここで中国人は現地人のカテゴリに含まれています。

朝鮮以外の地域の慰安婦も非常に多かったことは間違いないように思えます。
言及が足りないといいますか、吉見教授も秦教授も、ここまでの結論を導き出すのには相当時間がかかっています。
吉見教授の著書が出版されたのは宮沢首相の謝罪から四年後、秦教授の著書については八年後です。「言及が足りない」と言われてもそんなに早くは全体像はつかめなかったのが正直な所でしょう。
精密な調査の結果、日本軍の罪が明らかになって、それが他の国の多くの女性の人生を奪ったのだとしたら、わかった時点で率直に言及どころか謝罪するのは当然でしょう。
しかしくどいですが自分から慰安婦になった場合、業者に騙された場合などは関係ありません。

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