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2006年11月18日 (土)

吉見義明「従軍慰安婦」分析(7)

序文の分析がほぼ終わりました。
日本を断罪しようとしている部分は根拠が大変薄弱で、私には受け入れがたいものでしたが、序文だけを分析しておしまいというのもいかがかと思います。
本文の分析をしていきましょう。

Ⅰ 設置の経過と実態
1 確認される最初の軍慰安所
1932年に上海で初めて設置された経緯が描かれています。
当時の中国政府が公娼廃止に取り組んでいた関係上、名称が「料理店酌婦制度」というものになっていたということです。
現在の浴室従業員のような感覚だろうと思います。
そして上海での料理店のうち何軒かは日本海軍専用ということになっていたのが最初の慰安所のようですが、どうもこちらについては残った文書が少ないのか、細かいことがわかりません。
陸軍についての方が詳しい資料がありますのでそちらを追って行きましょう。

当時の上海派遣軍の岡部直三郎大佐が発案者だったようですね。
日本陸軍最高の戦略家、と呼ばれているそうです。
http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/human/ao/naosabu.html

Okabe033

岡部大佐は日記にこう記されています。

この頃、兵が女捜しに方々をうろつき、いかがわしき話を聞くこと多し。
積極的に施設をなすを可と認め、兵の性問題解決策に関し種々配慮し、その実現に着手する。

この事について吉見教授は
どうしてこういう発想になるのか理解できない、と断罪をされています。

吉見教授は触れていませんが、同時期に参謀副長だった岡村寧次大佐は、この後をこう書いておられます。

海軍にならい長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。

岡部大佐は、常識のある、現実を理解した対応をされたと思います。
旧ソ連のように、占領地での強姦が美徳とされた軍隊とは、日本軍は違っていたのです。

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コメント

 mixiではお世話様です。

 ヤの付くマイミクです。(笑

>当時の中国政府が公娼廃止に取り組んでいた関係上、
>名称が「料理店酌婦制度」というものになっていたと
>いうことです。
>現在の浴室従業員のような感覚だろうと思います。

上記の形態は現在の日本でも細々?ながらに残っています。
(いわゆる赤線・青線と呼ばれる名残ですね)

つまり、形態はあくまで料亭であったり浴場であるが
そこに接客する女性がいて客との自由恋愛である。という
少し、屁理屈的な法解釈の上に成り立っているようです。

まぁ、何にしろ現場を知らない学者さんは机上の空論が
大変お好きとしか云いようがない・・・。

そんなお話ですよね?

投稿: 椎名 | 2006年11月18日 (土) 12時24分

ヤ○○さん ようこそ!
 
学者さんも少しは汚れた世界を知るべきだと思うのですがね。
というか医学とか科学とかになるとさっぱりわかりませんが、この手の分野での専門っていうのは何なんだろうと思ってしまいます。
学問で言う史学とは先入観を持たず、事実の検証を淡々と行うものだと思っていたのですが、読み進める度に反対の認識を持ってしまうのです。
本当は別の話題に移りたいのですが、取りかかってしまったからにはしかたがないです。笑

投稿: daikichi | 2006年11月18日 (土) 13時09分

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