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2006年11月21日 (火)

吉見義明「従軍慰安婦」分析(10)

・1938年以降の華中

1938年~1939年に中国各地で確認された慰安所、慰安婦の数です。

上海・・・陸軍慰安府300名
抗州・・・慰安所四軒、慰安婦36名
九江・・・慰安所24軒、慰安婦250人(朝鮮人143名、日本人107名)
蕪湖・・・慰安所六軒、慰安婦70人(朝鮮人22名、日本人48名)
武漢・・・慰安所20軒、芸娼妓酌婦など395名(全てが慰安婦ではない)
南昌・・・慰安所11軒、慰安婦111人(朝鮮人100名、日本人11名)
鎮江・・・慰安所8軒
揚州、丹陽・・・慰安所各1軒


なかなか大した数です。
このように出来た慰安所を兵士はどのように利用していたのでしょうか。
独立攻城重砲兵第二大隊の大隊長である万波蔀さんはこう書き記しています。

慰安設備は兵站の経営するもの及び軍直部隊の経営するものに二カ所ありて定日に幹部引率の許に概ね一隊約一時間の配当なり。
衛生上の検査のため軍医をして予め立会点検せしめつつあり。


組織的に運用されていたことがわかる文章ですね。
さてここから吉見教授の粗捜しが始まります。
同じ大隊の第二中隊「陣中日誌」がその材料です。

二月一日
娯楽所の日割決定次第示す
行くときは必ず外出証を携行のこと
予防薬星秘膏を支給するも絶対的に非さるを以て中止すべし

二月二十四日

慰安所の使用時間変更せらる
 下士官   自午前十時  至午前十一時
 兵      次回は自午後三時 至午後四時


中隊の人数は約200名です、そのうちの三割くらいの兵が慰安所に行ったとして約50~60名。その慰安所に20人の慰安婦がいたとしたら一人二十分くらいでしょうか。
ものすごいものです。

よくわからないのが次の日誌についての吉見教授の論評です。

三月三日
城内にて強姦、略奪各々一件あり、厳かに注意すべし


ここについて吉見教授は

このように兵士の行動をしばっても、慰安所を巡る問題がしばしば生じたことを、同大隊第二中隊「陣中日誌」が示している。
(略)軍慰安所開設後も依然として強姦事件が発生していた。


と書いておられます。
この方は強姦がゼロにならないと納得しないのでしょうか?
慰安所があったおかげで緩和されたものなど絶対認めないのでしょうね。
強姦略奪がゼロだなんて、そんな無菌室みたいな戦場など、どこに存在すると言うのでしょうか。

礼儀正しく言うのも疲れますので心の声を出しますね。

ふざけるな!吉見義明!



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コメント

はじめましてエルミタと申します。
現在、年に数回労働慰安婦を求めフィリピンへ行ってます。

「従軍慰安婦」問題は難しいですね~って言うかチャント後始末して来なかったつけが問われてると思ってます。
いつの世も慰安所たる性の捌け口は存在するものです。

当時に於かれても様々な家庭事情もありましょうし、割り切って参加された輩も居ない訳ではなかったかと、、、

日本政府は重箱の隅に触れたくないのでしょうけど、明確な事実関係を説かない限りこの問題は解決しないかと思います。

私的な考えは過去の事実は変えられない。認めざるを得ない事も有ろうとは思いますので、イデオロギーを超えてそろそろ明確に判断すべきと思います。
事実は商業慰安婦なのですから。

投稿: エルミタ | 2006年11月21日 (火) 17時15分

エルミタさん はじめまして

そうなんですよね。
親に売られた。女衒に騙された等の事例も多いようですが実際は大多数が商売として慰安婦をやっておった訳です。
実際官憲が強制連行などはあり得ないことなのですが、とにもかくにも河野談話は十年以上経った現在でも悪影響を及ぼしていますね。
政府が下村副長官の言うように、誤った歴史を書き換える意思があるのかどうか。
注意深く見守っていきたいと思っています。

投稿: daikichi | 2006年11月21日 (火) 18時58分

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