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2006年10月 4日 (水)

なぜ、恨になってしまったのか(2)

アレックス・ヨリチ軍曹の報告、続きます

「性向」
平均的な朝鮮人慰安婦は25才ぐらいで、無教育、幼稚、気まぐれ、そして、わがままである。
慰安婦は、日本的基準からいっても白人的基準から言っても、美人ではない。
とかく自己中心的で、自分のことばかり話したがる。

「美人ではない」のくだりは「余計なお世話だ!」って感じもしますね。

「生活および労働の状況」
ミッチナでは慰安婦達は、個室のある二階建ての大規模家屋に宿泊していた。
それぞれの慰安婦は、そこで寝起きし、業を営んだ。
彼女たちは、日本軍から一定の食料を配給されていなかったので、ミッチナでは「慰安所の楼主」から、彼が調達した食料を買っていた。
ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。
この点は、ビルマ生活二年目についてとくにいえることであった。
食料、物資の配給量は多くなかったが、欲しい物品を購入するお金はたっぷりもらっていたので、彼女たちの暮らし向きはよかった。
彼女たちは、故郷から慰問袋をもらった兵士がくれるいろいろな贈り物に加えて、それを補う衣類、靴、紙巻きタバコ、化粧品を買うことができた。
彼女たちは、ビルマ滞在中、将兵と一緒にスポーツ行事に参加して楽しく過ごし、また、ピクニック、演芸会、夕食会に出席した。彼女たちは蓄音機をもっていたし、都会では買い物に出かけることが許された。

「料金制度」
1.兵    午前十時~午後五時  1円50銭  20~30分
2.下士官 午後五時~午後九時  3円     30~40分
3.将校   午後九時~午前0時   5円     30~40分

およそ四千倍すると現在の貨幣価値となります。

「利用日程割り当て表」
曜日ごとにどの部隊が慰安所を利用できるかを割り当てた事が書かれています。
注目すべきは最後に書かれているこの文です。
慰安婦は接客を断る権利を認められていた。接客拒否は、客が泥酔している場合にしばしば起こることであった。

「報酬及び生活状態」
料金の中で「慰安所の楼主」の取り分が50~60%であったことが書かれています。
慰安婦の取り分は40~50%ということになりますが、このサイトを見る限り現代でも似たようなもののようです。

多くの「楼主」は食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしたため、彼女たちは生活困難に陥った。
悪徳業者はこの当時も跋扈していたと認められます。

1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の慰安婦には帰国を認める胸の指示を出していた。その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。(中略)
これらの慰安婦の健康状態は優良であった。
彼女たちは、あらゆるタイプの避妊具を十分に支給されており、また、兵士たちも、軍から支給された避妊具を自分のほうからもって来る場合が多かった。(中略)
罹患していると認められた慰安婦は全て処置を施され、隔離されたのち、最終的には病院に送られた。

「日本の軍人に対する反応」
丸山大佐が利己的で水上少将が人格者であったということが述べられています。

「兵士たちの反応」
酒に酔って、かつ翌日戦線に向かう兵士が最悪の客だったと書かれています。

「軍事情勢に対する反応」
彼女たちが一様に軍事情勢には知らされていなかったことが書かれています。

「退却及び捕獲」
退却の途中で兵士とはぐれてしまって、その後捕虜になった様子が書かれています。
はぐれていなければ戦死していたのでしょうね。

「宣伝」
当時米軍は降伏を呼びかける日本語のビラを空中から散布してましたが、彼女らがこれを読んだ形跡がないことが書かれています。

「要望」
慰安婦が米兵に
「私たちが捕虜になったのを日本軍が知ったらまだ軍と一緒に行動している仲間の慰安婦の生命が危険になるので知らさないでほしい」
と要望したと書かれています。

業者が悪徳なことをやっている事は随所で読みとれますが、私には、ビルマでの日本軍は、公平に、清潔に、組織的に慰安所を運営しようとしていたようにしか読めません。
慰安婦は官憲に有無を言わさず強制連行され、慰安所では飯場のような小さな小屋に居住させられ、接客は乱暴な客に殴られようが何しようが黙って我慢するしかなく、この世の地獄のような所というような宣伝が現在でも韓国でなされています。
この報告書を読むと、ビルマの慰安所は悪名高き他の慰安所とはまったくの別天地であるかのように読みとれます。
どちらが真実に近いのでしょうか。ビルマ以外の慰安所は全てこのような惨状だったのでしょうか。

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コメント

こんにちは。某所では、いつもお世話になっています。

いわゆる一連の「南京大虐殺慰」事件や「慰安婦」問題の実態のレポートを毎回拝見させていただいております。特に私も少なからずこの慰安婦問題に政府側の立場にたってかかわったことがあり、この種のインチキ話が未だに世間でまかり通る事に腹が立ってなりません。特にいわゆる「河野談話」によって事実でない事が「事実」となってしまい、これによって日本の国益がどれだけ損なわれてきたか計り知れません。

所謂「河野談話」誕生の裏話にこういう話があります。

「日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。加藤官房長官の談話には強制性の認定が入っていなかったが、韓国側はそれで納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた。」

つまり、日本側には慰安婦徴用目的による強制連行等を示す証拠が一切ないのに、事実に基づかない韓国の無理な要求を受け入れてしまった訳です。事実出ない出来事で、何で韓国に譲歩しなければならないのか理解に苦しみます。

私は当時の日本兵の行為が100パーセント絶対正しいとは思いませんが、逆に言われなき事で彼らの名誉に傷付ける行為も絶対に許せません!

この所謂「慰安婦」問題については、私にも言いたいことは多数ありますが、それはまた機会がある時にお話したいと思います。

参考URL  http://www.tamanegiya.com/konoyouhei.html
http://www.tamanegiya.com/ura.html

投稿: やまゆき | 2006年10月 5日 (木) 10時36分

やまゆきさん
いらっしゃい 笑
コメントありがとうございます。

酒たまねぎやのホームページさんは勉強になりました。
というか慰安婦のところなんか
「こんな風に簡潔にまとめればいいじゃないか!」
と反省してしまいました。

河野洋平の行動を調べていると、社民党に入党した方がいいんじゃないか?って思えるようなのがたくさんありますね。
コメ支援とか台湾での空港の出来事とかの件では、主語を「土井たか子」と文字を入れ替えてもあまり違和感を感じないのではないでしょうか。
他にもどこの国の政治家かわからないのが自民党内にもいますね。
野中広務や加藤紘一や古賀誠や山崎拓や・・・・
逆に国益一直線の中共の政治家を見習ってほしいような感覚にもなります。

投稿: daikichi | 2006年10月 5日 (木) 11時58分

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