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2006年9月 6日 (水)

オランダ領東インド(1)

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東南アジアのみならず世界の植民地支配は大航海時代から始まりました。
オランダ、ポルトガルを先頭に、ある者は香辛料、あるものは布教。
色んな目的を持った冒険者が実利を求めて東南アジアを目指しました。

オランダ領東インドとは、現在のマレーシア・インドネシアに当たります。
この地域にコルネリス・ド・ハウトマンが1596年、オランダ人として初めて足を踏み入れました。
ここから350年に渡る欧米の植民地支配が始まります。
当時東インドで栄えていたのはバンテン王国というイスラム教国でしたが、このバンテン王国にオランダの東インド会社は接触しました。
東インド会社は、ポルトガルやイギリスと競争しながら段々とこの地域への支配を固めていきました。

1619年、クーン総督によってジャカルタにオランダ総督府が置かれ、東インド会社はここを本拠地としました。
これを契機に、商館と現地王朝との交易から、直接の植民地支配へと時代は変わっていきます。
第一次~第三次ジャワ戦争と、ジャワの民は東インド会社に対して抵抗を試みますがいずれも鎮圧され、その度支配は強化されていきました。

1799年、東インド会社解散により、オランダ本国政府が直接植民地支配に乗り出します。

1825年、段々と収奪を進めていく東インド会社に対してジャワ島マタラム王国のディポヌゴロ王子は反乱を起こします。
五年に渡ったこの反乱を鎮圧した東インド会社はジャワ島に対しての植民地支配を進めます。

ナポレオン戦争による混乱の時代を経て、再びオランダは東インドに戻って来ます。
1830年、オランダ総督府は、東インドに「強制栽培法」を施行します。
早い話が「コーヒーを作るとオランダ本国が儲かる。だからこれを作れ。しかし賃金はお前達の生きていける最低限度しか与えない。そして栽培ノルマが達成できなかったら処罰をするのでそのつもりで」
という法律です。

現地での自然な形での栽培を禁止して、お金になるものばかりを作らせたものですから、気候が少し不順になっただけで深刻な飢饉が起きるようになりました。
以下オランダの小説「マックス・ハーフェラール」からの引用です。

「飢饉・・・? 豊かにしてかつ肥沃なジャワで飢饉?そう、読者諸君、わずかな歳月のうちに全ての地方が飢饉に襲われ、・・・母は子供を売ってでも食べ物をと思い、・・・そう、母が子を食べてしまった・・・」

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