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2006年9月 4日 (月)

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(4)

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引き続いてこちらの年表から順を追って述べます。
http://members.at.infoseek.co.jp/WGIP/file/waya04.html

さて9.10に公布された、「新聞報道取締方針」はポツダム宣言違反であると日本の新聞界は承知していました。ですから「言論の自由がある」という前提で占領軍の事を報道していました。

占領軍の最初の鉄槌が「同盟通信社」に振り下ろされます。

9.14
同盟通信社が24時間の業務停止処分を受けます。
何のかどで停止処分だったのか調べたのですが
「同盟通信社は昨日(十四日)一七時二九分公安を害するかの如きニュースを領布したかどによつてニュースの領布を停止せしめられ、一般に不安同様を與へた。」
という内容以上の事はわかりませんでした。

9.15
マッカーサー連合国軍総司令官が報道関係者に声明を出します。以下要約

「諸君が国民に提供して來た着色されたニュースの調子は合も最高司令官が日本政府と交渉してゐるやうな印象を與へている。
交渉と言うものは存在しない。
最高司令官は日本政府に対して命令する。
しかし交渉するのではない。
交渉は対等のものの間だに行はれるのである
。」

同日、民間検閲支隊(CCD)隊長フーバー大佐も、マッカーサー声明と同様の声明を出します。

9.18
朝日新聞は「原爆投下は国際法違反、戦争犯罪である」とした鳩山一郎の発言を掲載したことをきっかけに二日間の発行停止処分を受けました。

ここでGHQに屈服した朝日新聞は、その後今日まで日本を擁護する記事を書くことはありません。

9.19
「日本新聞準則」が報道機関に通達されます。
9.10の「新聞報道取締方針」の完成型と言えます。
本格的に新聞、ラジオの屈服が始まります。

ここに至って日本の言論人は、占領軍がポツダム宣言を守る気は全くないことをようやく知ることになります。以下読売オンラインからの引用

「 『大東亜戦争』『八紘一宇』といった軍国的な表現や、占領軍、占領政策への批判は許されなかった。原爆投下への批判も禁じられた。米兵による日本人への暴行事件、暴動や伝染病の記事も『社会不安を助長する』として削除や掲載禁止になることが多かった。」

山本文也元読売新聞記者の発言。
「新聞社側は、日々の紙面制作の中で自主規制するようになった。山本さんは『だんだん慣れてきて、別の記事をあらかじめ用意しておいて、紙面に穴(空白)が開くのを防いだ』と話す。読売新聞は48年1月、傾向と対策をまとめた「検閲旬報」を作り、取材部門に配った。朝日新聞は『連合軍司令部の新聞検閲について』、毎日新聞も『検閲の指針』をそれぞれ作成し、分析している。」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/feature/sengo/ci_se_05110401.htm

米軍兵士による婦女暴行も報道されませんでした。「依存症の独り言」さんより引用

「我が国が無条件降伏をした後に進駐してきた米兵の蛮行ぶりも凄まじい。
米軍が最初に進駐した神奈川県では、一ヶ月に何と2千件もの『大きい男』による婦女暴行事件が起きた。『大きい男』とは米兵のことである。連合国軍総司令部(GHQ)が、新聞検閲で米兵をそう表記するように命令したのだ。」
http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2006/03/post_05de.html

この措置は、日本の新聞、ラジオから連合軍への批判色が全く消えてしまうまで継続しました。

米軍は、占領下の政策として、まず日本の耳と口を封じたのです。

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