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2006年9月17日 (日)

廬溝橋事件(3)

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当時の中国国民党は、共産党と協調して日本に対抗しようと言う左派と、日本と協調して共産党と戦うべきだという右派とのせめぎ合いがありました。
そんなさなかの1936年、西安事件が起こります。

この頃国民党に合流していた、元奉天軍閥の張学良は、日本軍に父の張作霖を殺された事により、国民党と日本軍とを戦わせたいと思っていました。
まあ、当然と言えば当然です。
1936年12月、国民党の領袖の蒋介石が西安に来ていました。
その方面軍を担当していた司令官の張学良は、「一緒に日本に対抗しよう!」という呼びかけを蒋介石に対して行いましたが拒否されました。
そこで張学良は、蒋介石を監禁して国民党を反日に向かわせようと画策します。

この事件をもって、一時国民党本軍と張学良軍とが一触即発の状態になりました。
張側は蒋介石を殺すつもりでもあったようですね。
しかしそこへ調停にやってきたのが共産党の周恩来です。
周恩来の交渉力でもって蒋介石と共産党との間に合意ができ、国共内戦は終了し、第二次国共合作の時代を迎えます。
これが西安事件のあらましです。

廬溝橋事件はこのような状態の時に起こった事件です。

廬溝橋事件により誰が得をしたかを考えるのが、謎の発砲の原因者を突き止める近道と考えます。
以下は「歴史と世間のウラとウラ(http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/index.html)」よりの抜粋です。

もし日本軍が発砲したと考えると

○当時の日本軍の総兵力は、国内国外あわせて25万、これに対する中国軍総兵力は、220万で、いくら日本の軍人が中国軍を見くびっていたとしても、兵力の違いが大きすぎはしないか。
○日本軍は実弾を携行せずに演習をしていた。駐屯軍参謀長橋本群・陸軍中将は当時の状況を、「実弾を持たずに発砲されたため、応戦できず、非常に危険な状況におかれた」と証言している。「丸腰」で演習していた日本軍が、果たして本当に、「武装」している国民党軍と事を構えたいと思ったのか。
○「廬溝橋事件」後に日本は現地解決・戦線不拡大方針を表明し、国民党軍との間に停戦協定を成立させている。このことは日本軍がそれ以上事を荒立てたくはないと考えていたからではないのか。
○その後、日本は膨大な地域を占領したが、領土要求はしていない。占領地は汪兆明政権の領土となり、そこでは治外法権も撤廃されている。
○現地で一旦は解決がはかられた廬溝橋事件の3週間後、さらなる大事件が起こった。中国軍が日本人民間人200名余りを虐殺した「通州事件」とも”通州大虐殺”とも呼ばれる事件である。

 当時、通州には「廬溝橋事件」の余波で避難していた婦女子などの日本人居留民、軍人等200余人が住んでいた。日本の守備隊の主力が町を離れたところへ中国軍千数百名が襲撃した。中国軍は日本軍守備隊を全滅させ、住宅に火を放ち、女性には暴行を加えたうえで殺害、子供は両手・両足を切断、男性には首に縄を巻きつけ引き回した。当然、日本の世論は「支那を撃つべし!」と沸騰した。しかし、この時も日本軍は耐えて動かなかった。

日本が不利になる状況が強いように感じます。

そして、もし共産党軍が発砲したと考えると

○共産党軍は国民党軍の猛攻にさらされ壊滅の危機にあった。共産党が生き残るために蒋介石と日本を戦わせて漁夫の利を得ようと考えるのは不自然なことではない。
○「廬溝橋事件」発生の翌日7月8日、中国共産党は「対日全面抗戦」を呼び掛けている。すこしお膳立てがよすぎはしないか。
○共産軍の兵士向けのパンフレットには、「廬溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志(後の国家主席)の指示によって行われたものである」とはっきりと記述されていたという。

○1949年10月1日、「中華人民共和国」成立の日に周恩来首相が、「あの時(廬溝橋事件の際)、我々の軍隊が、日本軍・国民党軍双方に、発砲し、日中両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、共産党に今日の栄光をもたらしたのだ」と発言している。
○コミンテルン(国際共産党)の廬溝橋事件に関する指令には、1)あくまで局地解決を避け、
日中の全面衝突に導かねばならない。2)右目的貫徹のため、あらゆる手段を利用すべく、局地解決や日本への譲歩によって中国の解放運動を裏切る要人は抹殺してもよい。とある。

共産党に有利になる条件は整っていた、整えられていたように感じます。

しかしこのサイトには以下の事にも考慮しています。
「廬溝橋事件の前に起きた西安事件によって国共合作は既に実現している。だから、もう共産党には謀略を企てる動機は薄かった。」
「廬溝橋事件は日華事変の原因ではなく、単なるきっかけにすぎなのであって、根本的な原因は、当時の中国にあふれていた反日感情と、日本陸軍の思い上がりにあるのだ。」

決定的な一次資料が出てくるまで納得できない問題ではありますが、現状では共産党の企みだとしか自分には思えません。

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