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2006年9月 7日 (木)

オランダ領東インド(2)

Imamura_hitoshi_1
強制栽培制度によって収奪の限りを尽くされた東インドの民衆は、かなわぬながらもオランダに対して立ち上がります。
1873年から始まるアチェ戦争です。
イスラム国であるスマトラ島のアチェ王国は30年に及んでオランダに抵抗しました。
しかしオランダは同じ東インドのジャワの民衆をもオランダ軍に組み入れてこれを鎮圧しました。

「何度戦争しても我々はオランダ人にはかなわない・・・・」
あきらめて心身共に奴隷になって行く東インドの民衆の心が浮かぶようです。

かつてジャワ島中部に君臨したクディリ王国のジョヨボヨ国王はこんな予言を残していました。

「わが王国はどこからか現れる白い人に乗っ取られるであろう、彼らは魔法の杖を持ち、離れた距離から人を殺すことができる。白い人の支配は長く続くが、やがて北方の白い衣をつけた黄色い人が白い人を追い出し、ジャゴン(とうもろこし)の寿命の間、この地を支配した後に“ラトゥ・アディル=正義の神”の支配する祝福される治世がくる。」

東インドの民衆は、こんな当てにもならない予言を信じていたでしょうか?
信じていた人もいたのではないでしょうか?

自分たちでどう抵抗してもオランダ人の近代兵器にはかなわない。

「どこか別の国がオランダ人をおっぱらってくれないだろうか?」

そんな風に考える東インドの民は少なからずいたはずです。
そのような人たちが唯一希望を持てるのがこの予言であったのではないでしょうか?

時は移って1940年代です。
オランダは極東の新しい脅威である大日本帝国の「大東亜共栄圏」構想に自国植民地の危機を察知し、先手を打って宣戦布告してきました。
それに対して日本は今村均中将の指揮する二個師団を以てジャワ島北部に上陸作戦を敢行しました。
あっという間にオランダ人を駆逐する日本軍を見たジャワの民衆の熱狂はすごいものだったようです。
「ジョヨボヨの予言の通りだ!」
そして占領後の日本軍は、東インドの民に対して我が国民のように接しました。
今村司令官が、オランダ駆逐後に最初に出した「布告第一号」の内容です。

「日本人とインドネシア人は同祖同族である

日本軍はインドネシアとの共存共栄を目的とする

同一家族・同胞主義に則って、軍政を実施する 」

オランダ領東インドの民、いえ、インドネシアの民は驚喜しました。
その後の日本の政策はインドネシアの民の希望に沿ったものでした。

・スカルノら政治犯の釈放
・農業改良指導
・小学校の建設と、児童教育の奨励
・新聞「インドネシア・ラヤ」の発刊
・英・蘭語の廃止と、公用語としてのインドネシア語採用
・5人以上の集会の自由
・多方面でのインドネシア人登用
・インドネシア民族運動の容認
・インドネシア人の政治参与を容認
・軍政府の下に「中央参議院」を設置
・各州・特別市に「参議会」を設置
・ジャワ島全域に、住民による青年団・警防団を組織
・「インドネシア祖国義勇軍」(PETA)の前身を創設

日本の「五族共和」「八紘一宇」の精神とはこういうものだったのです。

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