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2006年9月14日 (木)

廬溝橋事件(1)

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廬溝橋事件は1937年7月7日に、日本軍が中国国民党軍を銃撃したことから起きたと言われています。

以下wikipediaより
1937年(昭和12年)7月7日に北京(当時は北平と呼ぶ)西南方向の盧溝橋で起きた発砲事件。日中戦争(支那事変、日華事変)の発端となった。
この事件をきっかけに、日本軍と国民党政府は戦争状態に突入、その後戦線を拡大していった。

wikiではこの後、7月7日から始まる事件のあらましを述べていますが、どちらから先に発砲したのかを考えていきたいと思います。
国民党軍は「日本から発砲した」と言っていますし日本側は「敵が攻撃してきた」と言っています。
どちらが正しいのでしょうか?
実はどちらも正しかったのではないでしょうか。

発砲された時の日本軍は丸腰の状態だったという証言があります。
「実弾を持たずに発砲された為、応戦出来ず、非常に危険な状況に置かれた」橋本群・陸軍中将(駐屯軍参謀長)
実弾を使用しない演習中だったようですね。
調べていて現時点でとても怪しいと思われるのは中国共産党軍です。

葛西純一編訳『新資料・盧溝橋事件』に次のような記述があります。
葛西氏は昭和二十年八月の終戦後、中国に残留し、共産党軍に参加して国民党と戦った経歴がある方です。
兵士向けに配られた小冊子の中に以下のような文言があったということです。

「七・七事変は劉少奇同士の指揮する抗日救国学生の一隊が決死的行動を以って党中央の指令を実行したもので、暗闇の盧溝橋で日中両軍に発砲し宋哲元の第29 軍と日本駐屯軍を相戦わせる歴史的大作戦に導いた。
これによって蒋介石、南京政府は世界有数の精強を誇る日本軍と戦わざるを得なくなった。その結果、滅亡したのは中国共産党ではなく蒋介石、南京政府と日本帝国主義であった」

つまり共産党軍が国民党と日本軍を戦わせるために双方に発砲したという意味ですね。

明日もこの問題を考えていこうと思います。

なお葛西氏の証言には物的証拠が呈示されていないことをお断りしておきます。

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コメント

初コメント(^_^)
支那駐屯歩兵第一連隊戦闘詳報や北平駐在日本陸軍機関業務日誌を読むと、第1連隊第8中隊は空砲を用いた夜間演習中でしたが、その位置・方向からでは盧溝橋は攻撃できないんですがねw

投稿: delphinidae | 2006年9月15日 (金) 09時13分

おーデルさんこんにちは~

ふむふむ、仮に日本側から攻撃しようとしても無理だったということですね。
しかしデルさん戦闘詳報とか難しいの読んでおられますな。
昔の日本軍の文書読むとカタカナが読むづらくて困りますよ。

投稿: 代吉 | 2006年9月15日 (金) 12時55分

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